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| ドイツ語を中心とする「言語」ないしは「文化」 |
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中島ゼミのテーマは主としてドイツ語を中心とする「言語」、ないしは広く「ドイツ文化」である。ドイツ文化といってもそれをただドイツの文化というだけでは何も定義したことにならない。「ドイツ文化」とは広義にドイツという国家単位の枠を越えて、チェコ、スロヴァキア、ハンガリー、ポーランドなどまでにかつて拡がっていたドイツ語圏の文化、という意味でもある。
このドイツ文化を考えることは従ってそのまま「中欧」のあり方を問うことに他ならない。では、「中欧」とは何か。それはヨーロッパの中央という地理的意味というより、時代によって伸縮するより文化的な概念である。その中でドイツ語がいままで果たしてきた役割(「功」のみならず「罪」もあるが)を考察することは、統一通貨「ユーロ」を導入し、それだけにとどまらず国家体制を越えて一大共同体を目指す今後の欧州のあり方を模索することにもつながる。
ところで多くの人にとって、ドイツ語というと「堅い」、「むずかしい」とのイメージが付きまとうだろう。でも、そんなことはない。ドイツ語の音の中に秘められた「音楽」の豊かなこと。それは味わったものだけが触れられる「特権」でもある。
ドイツ語は難しい言語というのはそれでは本当なのだろうか? 答えはこうである。学習に際して絶対的に難しい、またやさしい言語というものは存在しない。英語の主導的地位はますます勢いを増しているが、地球上にはそれにもかかわらず英語以外で生活している地域も多数あるのだ、というあたりまえな認識がいまいちばん必要なのではあるまいか。
ひとつのテーマとしてそんな「言葉のあり方」を考えるのが中島ゼミである。 |
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| 一、ニ年次ではドイツ語(第一外国語として)の履修が前提である。ドイツ語にはできるだけの時間と手間をかけて学習に望んで欲しい。一年次では「基礎演習」でドイツ文化入門の手ほどきをする。次年度以降ではドイツ文化論をはじめ、ヨーロッパ・地中海文化コースの科目を積極的に履修すること。たとえ苦労しても、ひとつの授業から新たな関心が見つかれば履修した甲斐は十分にある。 |
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| 「ゲーテ・ファウスト研究」、「グリムのメルヒェン、その変遷と需要の形態」、「東ドイツはなぜ崩壊したか」、「ドイツの祝祭」、「中欧の復活」、「ヘルマンヘッセに於ける自己実現の道」など。これまでグリム童話、ヘッセなど文学を取り扱うものがテーマ目立ったが、中には現代日本語の問題について研究したものや、スイス独立史を取り扱ったものもある。卒論のテーマ選定について助言は行うが最終的には執筆者に委ねるのでその内容は多岐にわたる。 |
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大学では独語学(ドイツ語史)専攻。ドイツ・ボン大学に留学して以来、ドイツ語の歴史研究を続ける傍ら、スカンジナヴィアに残る伝承文学に魅了され、デンマーク、ノルウェー、アイスランドを歩く。
他方、いままで未解読、未編纂のまま残る近世初期ドイツ語史料がいまのチェコ、スロヴァキアに大量にある、と知らされると研究班を組んで現地の古文書館に乗り込む。机上の学問よりもどうもあちこち歩きたがる性癖があるようだ。
「文化、文学のみならず、言語も現地を知らずして語るなかれ」、というのもやや自己弁護に聞こえる。おかげで欧州は鉄道で一部を除いてほぼ廻ってしまった。現場こそ、最大の書斎である。あちこち訪ねれば苦労も多いが、その土地の音楽をはじめよい人たちにもめぐり会える。
7, 8年前からさらに韓国、中国を中心とした東アジア諸国からの留学生に日本語をどのように教授するか、の観点に立ち、社会言語学的視点から現代日本語の諸問題について論考を発表している。何が専門領域なのか、自分でもますます迷宮入りした、と思っている。 |
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あえてアナクロニズム的読書のすすめ。岩波文庫の古典を端から読んでほしい。何でもいい、全部理解しよう、などと思うな。自分が取り付きやすいものからでよい。これは誰にでもできそうでできない。今の世の中、読んですぐ役に立つ本が多すぎる。「すぐ役立つ」、ということは「すぐ役に立たなくなる」ことでもあるのだ。どんな材料でも本になってしまういまの日本、内容の乏しい本は多いにちがいない。でもそんな「堕落本」は読まないほうがためになる。
ついでに言うと外国語の上達を望むならば、逆説に聞こえるが、母語の「日本語」をもっと大切にするべき。日本語で書かれたよい文章にたくさんあたること。読書すべきは第一に日本語である。読書は思考である。日本語で表現できないことが外国語で言えるわけがない。外国語の習得に技術面が伴うのは事実であるが、要はやはり「話す内容」ではないか。なぜか会話ばかりがもてはやされる今日の外国語学習であるが、「流暢な会話」にだまされてはいけない。 |
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