バレンシアの祝祭

2005年度 ヨーロッパ思想コース選考者報告


【旅の目的】

 スペインには数多くの祝祭が存在しており、そのほとんどはキリスト教に関するものである。私が今回訪れたバレンシアにもたくさんの祭りがあるが、その中でも特に有名なものが「サン・ホセの火祭り(Las Fallas)」である。この火祭りはスペイン三大祭に数えられているもので、サン・ホセとは聖ヨセフ、すなわちイエス・キリストの養父であり、そのサン・ホセの祝日であった3月19日にがらくたを燃やし始めたことに起源があるという。そしてそれ以外にも有名な祭りの一つが、バレンシア州ブニョールの「トマト投げ祭り(La Tomatina)」である。これはトマトを人にぶつけるというものであるが、そこには宗教性は全く存在しないという。バレンシアという限られた地域の中に、かたやカトリック信仰に深く根付いた祝祭、そしてもう一方は宗教性の全くない祭りが存在する。この互いに著名でありながらも相反する祭りを比較、考察することが今回の研究旅行の最大の目的である。今回バレンシアを訪れたのは8月末から9月の初めであったため、3月に行われる火祭りを見学することは不可能である。そのため、8月の最終水曜日(2005年は8月31日)に行われるトマティーナに参加し、バレンシア市内にある火祭り博物館を見学することにした。

行動日程表

1日目 出発→ロンドン→バルセロナ
2日目 移動 バルセロナ→バレンシア
3日目 トマティーナ
4日目 バレンシア市内散策
5日目 近隣のエル パルマールへ
6日目 バレンシア市内散策
7日目 レケーナの収穫祭
8日目 バレンシア市内散策
9日目 火祭り博物館
10日目 文献、資料の収集、整理
11-12日目 バレンシア発→ロンドン→香港→台湾→福岡着

【バレンシアへ】

 8月29日、日本からスペインへは直行便がないため、ロンドンを経由してバルセロナからスペインへ入る。バルセロナはとても大きな街で、スペイン北部、カタルーニャ地方に位置しているためか、フランスのような洗練された雰囲気だった。ゴシック様式の建物の間に突如現れるモデルニスモ(ガウディに代表されるスペイン版アールヌーボー。カタルーニャで開花した。)の建造物がバルセロナの最大の魅力だろう。モデルニスモの建築様式はどれも奇抜であるにもかかわらず、不思議と街全体と調和がとれていて、バルセロナという街をより魅力あるものにしている。加えてたくさんの花屋、大道芸人のカラフルな衣装、舗道のミロのモザイクなどがバルセロナの街を美しく彩っていた。今回は一泊しただけで、すぐにバレンシアへと移動したのだが、またヨーロッパへ行く機会があれば是非時間をかけてじっくり見てみたい街である。


グエル公園
グエル公園
サグラダファミリア
サグラダファミリア

 翌日、バスで一路バレンシアへと向かう。車窓からの景色はオリーブ畑が延々と続き、何とも殺風景だった。たまに街があったり、南下するにつれてオレンジの木が見えてきて、バレンシアへと向かっていることがわかったが、4時間半ほぼ同じ景色を見続けるのはさすがに退屈だった。ようやく辿り着いたバレンシアは、バルセロナからの道中通り過ぎてきたどの街よりも大きく、意外にも都会であった。それもそのはず、バレンシアは人口75万人で、マドリード、バルセロナに次ぐスペイン第三の都市である。

【トマティーナ】

 8月31日、いよいよトマティーナ当日である。ブニョールまでバスで移動し、会場へと向かう。田舎町には似つかわしくないほどたくさんの若者がいたが、スペイン人以外の人が多く、日本人もちらほら見受けられた。そして多くの報道陣。日本のテレビ局もいくつか来ていた。どうやらこの祭りはスペイン人よりも、物見遊山の外国人の方が多数参加しているようである。宗教性がないということでたくさんの外国人が気軽に参加することができるのだ。

 トマティーナが始まるのは午前11時からであったが、その前に儀式のようなものが行われた。石鹸水が注がれ滑りやすくなった木の棒にぶら下げたハムを地元の若者が登って取るというもので、この競技は「Jamon y Jabon」(ハムと石鹸)というダジャレになっているそうだ。ようやく頂上のハムを取った瞬間、歓声が湧き上がり、興奮しだした人々はTシャツを脱いで投げ始めた。私も水をかけられたので、水かけ合戦に参加したところいきなりTシャツを破られてしまった。このようにトマト投げが始まる前から攻防は始まっているのである。

 そしてトマトが配給されいよいよ本番が始まる。大量のトマトを積んだダンプカーが人波をかき分けてやってくると、そこに一斉に人が群がりすし詰め状態になった。どこからともなくトマトが飛んでくるので、どこを目がけるでもなくトマトを投げる。拾っては投げ、拾っては投げを繰り返し、辺りは瞬く間に真っ赤になっていた。そこは人種も性別も関係なく、カオスと化していた。聖人を讃えるでもなく、神に祈りを捧げるでもなく、収穫を祈り喜ぶでもなく、ただトマトを投げ合うのみである。見事なまでに宗教性はない。こうして無我夢中で1時間トマトを投げ合い、祭りは終了した。

トマティーナ1
トマティーナ1
トマティーナ2
トマティーナ2

 実はこの祭りの起源は地元の人に聞いても定かではなく、一説によると若者同士のケンカから始まったとも言われている。ケンカでトマトを投げあい、それが次の年から慣習化してしまった、というものである。その他にも、ブニョールの町にやってきた音楽隊の演奏があまりにもひどかったため誰かがトマトを投げつけ、それがどういう経緯か今日のスタイルになった、という説もある。1945年生まれのこの祭りは一時期禁止されていたのだが、その後復活し、今では宗教性がなく開放的なそのスタイルから多くの人、とりわけ外国人の参加者が後を絶たない。日本でも毎年ニュースで放送され、その知名度は高い。そのため、村おこしの一大イベントとなっており、トマトの産地ではないブニョールがわざわざ他所から公費でトマトを賄っているほどである。今年のトマトの量は実に130トン、参加者は4万人であった。

【火祭り博物館】

 宗教性のない祭りを体験した後日、それと比較する伝統的な火祭りの調査を行うために、火祭り博物館へと足を運んだ。火祭りとは、独特の風刺のきいた張り子人形ファージャ(falla)を広場や主な通りの十字路に展示し、数日間披露したあとバレンシアの守護聖人サン・ホセの祝日、3月19日の夜に一斉に燃やすというものである。数あるファージャの中でも投票により一位に選ばれたファージャの一部、ニノット(ninot)は焼かれるのを免れる。その入賞した歴代のニノットと、子ども用の小さなファージャ、ポスターを展示しているのが火祭り博物館だ。博物館へ向かう途中、ファージャを作る組合のようなものであるカサル(casal)を発見した。しかし今の時点では活動はしておらず、中をのぞくこともできなかった。


カサル
カサル

 火祭り博物館はこぢんまりとした建物で、ラザリスト会の旧修道院に設置されている。中に入ると、まずは火祭りの成立過程が記された資料が展示してあった。資料によると、18世紀の中頃にはバレンシアの守護聖人であるサン・ホセを祝う祭りが行われていて、大工職人(サン・ホセは大工であった)や若者、子どもが、ファージャという名前をつけられたガラクタの山を燃やしていたそうだ。また、サン・ホセの祝日には、風刺されるような出来事や人物をほのめかす人形が通りの民家の窓から窓に吊るされていたという。しかし、がらくたを燃やすときにそれらの人形に燃え移りしばしば火事が発生したため、警察は狭い通りに人形を置くことを禁止した。その結果、住民は広い通りや広場に人形などの作り物を置き、燃やすことにしたというのである。そしてファージャは次第に芸術性を帯びてきて、1901年にはバレンシア市役所が優秀な作品に自治体賞を与えることになり、現在のような形態となったそうだ。

火祭り博物館の外観
火祭り博物館の外観

 博物館内を進んでいくと、年代の古い方から順にニノットとポスターが展示されていた。どれもリアルに作られていて、何を意味しているのか正確にはわからなくても、風刺が込められていることはわかった。現存するもので一番古いものは1934年の作品である。このころのファージャはボール紙で作られ、それ以前は蝋で作られていたそうだ。1970年代からはポリエステルが使われ始め、1984年以降はポリスチレンが主流となっている。展示室最後の出口付近には、各カサルの受賞回数と受賞年度、紋章などが展示されていた。ここで入手したファージャの材質の変遷や、受賞したカサル、製作者などの細かい情報は、今後の研究に大いに役立てたいと思う。

【レケーナの収穫祭】

 バレンシア滞在中、近郊のレケーナという町で収穫祭があるというので、訪ねてみることにした。レケーナはワインの産地として有名で、今回の収穫祭もブドウの収穫を祝うものであるという。

 バレンシアから電車で山間の道をゆっくりと1時間かけて到着したその町は、すでにたくさんの人でにぎわっていた。トラクターなどの農機具や、ブドウを搾り出す器具、ブドウが展示、即売されている。ワインを作るためのブドウは、普段私たちが日本で口にするものとは少し違っていて、実は小粒ながら房がものすごく大きい。そのブドウで作られたワインを飲もうと近くの露店を回ってみたが、もうほとんどの店で営業が終了し、なかなか飲むことができなかった。しかしながら、ひどく落ち込んでいた様子を不憫に思ってくださった人からコップ一杯のワインをいただいたので、何とかそれを味わうことができた。そのワインはとてもまろやかな口当たりで、まだ若いためか、水のようだった。肉料理、魚料理を問わずに飲めそうである。この祭りのクライマックスには紙吹雪が舞うパレードが行われ、ドレスを着た華やかな女性たちが楽隊の後に続いた。盛大な祭りではなかったが、地域に根ざしたアットホームでよい祭りだった。


収穫祭の様子
収穫祭の様子
ブドウ
ブドウ

 スペイン滞在中には何種類かワインを飲んだが、味も様々で、格安でおいしいワインが飲めた。スペインでは一般的に明るいうちからシエスタという昼休みをとって飲酒をする習慣があり、夜にはまたバルという居酒屋が多くの人で賑わうので、スペイン人にとってワインはとても身近で、たくさんの人に愛されている。レケーナでは改めてそれを感じることができた。また、民家の壁にはブドウやワインの絵が描かれていて、そこがワインに生きる町ということが感じられた。

【まとめ】

 今回の研究旅行でバレンシアには約10日間滞在したが、その限られた期間だけでも二つの祭りに参加することができた。スペインでは町ごとに守護聖人が祭られていて、その祝祭日も様々である。スペイン全土を見渡してみれば、1年中どこかで祭りが行われていると言っても過言ではないだろう。街を見ても教会やキリスト教にちなんだ建造物が至るところにあり、カトリックがいかにスペイン人の心のよりどころ、精神活動の基盤となっているかがよくわかった。例えばヴィルヘン広場では、火祭りのプログラムの一つとして聖母への献花が行われ、美しく着飾った女性が感極まって涙する場面が見られる。こうしたことからも、スペイン人の信仰心、とりわけマリア信仰の深さを知ることができるだろう。


ヴィルヘン広場
ヴィルヘン広場

 実際に祭りに参加してみて、身をもって学んだことは次の事柄である。祭りの主要な機能は、社会の中に時間の秩序を導入すること、つまり正常で世俗的な存在秩序から異常な秩序へ、そしてもとの秩序へ、つかの間の移行を実現することによって、人々に時間を体験させているということである。その祭りが終わってからは、次の祭りに向けて着々と時間を刻んでいく中で四季を感じ、その恵みに感謝しながら人々は生きるのである。

 また、祭りが始まってしまえば、日常を忘れて規範や地位の転倒さえ起こってしまうような乱痴気騒ぎに没頭し、祭りが終わりまた日常世界へと戻っていくという、このつかの間のトリップのようなものこそ祭りの醍醐味ではないだろうか。聖なる祭りとして挙げた火祭りにも、こうしたトリップと転倒は見られる。トマティーナと火祭りの違いは宗教性の有無や伝統の違いであって、日常から切り取られた時間を体感すること、規範や地位の転倒、といった祭りの本質的な部分には大きな違いはないと思った。

 今回、フィールドワークを通してトマティーナというスペインでは異例の宗教色のない祭りに参加できたこと、伝統的な火祭りについて、博物館を訪れ、資料を収集することができたことはとても意義あることだと思う。日本ではなかなか得られなかった情報や文献も得ることができたし、何より実際に触れることができた。この旅は何ものにも変えがたい素晴らしいもので、計画を実行に移すことの大変さ、楽しさ、そして自分を支えてくれる人のありがたさを感じることができたよい経験になったと思う。

パエージャ
パエージャ

 最後に、このような機会を与えてくださった国際文化学科の先生方、職員の皆さん、指導教官の山田先生、援助してくださったたくさんの方々にこの場を借りてお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。



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