フィリピンの農村と教育事情

2005年度アメリカ文化コースB選考者報告


 この夏、私はフィリピンに行ってきた。動機はいろいろあるが、一番の動機はやはり発展途上国の生活を是非体験しておきたいという気持ちがあったからだ。今までいろいろな国を旅してきたが、中でも印象に残っているのは、特に昨年訪れたカンボジアである。JICA御用達のホテルに泊まり、通訳つきでアンコールワットを見学し、同行者には衆議院議員もいたので盛大な歓迎をうけた。このような旅行も悪くはないのだが、やはり現地の人と触れ合う時間が少なかったという問題点から、今回の旅では現地の人たちと草の根レベルでの生活を体験してみたいという思いで、ワークキャンプという形での参加を決意した。

 研究旅行の特色

1.6泊7日の期間のうち、5日間をホームステイし、現地の生活を直に体験する。
2.フィリピンの大都市(マニラ等)の生活レベルは日本のそれとさほど変わらないという点をふまえ、今回の拠点は一般的に考えられている途上国の生活を体験できる、イロイロ市の漁村にお世話になる。
3.コーディネーターは現地語(英語)を話せるが、他に通訳はおらず、基本的に己の語学力でコミュニケーションを取る。
4.10人の日本人キャンパー以外にも5人のフィリピン人キャンパーが参加するので、同じ志を持つものどうし貴重な意見交換ができる。

以上の点である。なお、今回大学から支給していただいた研究旅行奨励制度の補助金は、主に現地までの往復の渡航費と、フィリピン国内の移動費に使わせていただいた。現地の漁村では、基本的にお金は使わなかった。食事はホストファミリーが用意して下さったので、たまにジュースを買う程度で、滞在費はほとんどかからなかった。

 期間:2005年8月19日〜8月25日

1日目 福岡からマニラに移動 マニラに宿泊
2日目 マニラからイロイロ市に移動 ホストファミリーと面会
3日目 ワーク(下水道建設)
4日目 ワーク(下水道建設)
5日目 ワーク(下水道建設) 小学校訪問
6日目 ワーク(下水道建設) オープンフォーラム フレンドナイトシップ
7日目 マニラへ移動 マニラ観光 帰国

 まずフィリピンに着いて最初に思ったのは、思った以上に近代化が進んでいるということである。街中には、品揃えは日本と変わらないコンビニエンスストアもあるし、広すぎて迷子になりそうな大型商業施設もある。途上国に来たと思っている自分にとって、紛れもなく眼前にある光景にカルチャーショックを受けた。


ミニストップ マニラのコンビニエンスストア
コンビニエンスストア ミニストップ
大型商業施設 広すぎて途中迷子に
大型商業施設 広すぎて途中迷子に

 フィリピンは東南アジアの国なので、昨年行ったカンボジアと同じような環境だろうと思っていたが、街中の様子、特に道路整備という面では大変大きな違いがあった。私が泊まった漁村にもすこし歩くと道路があったし、サリサリストアーというコンビニエンスストアもあった。一方カンボジアでは、首都プノンペンの中心部から車で10分もするともう砂利道で、全くと言っていいほど道が整備されていなかった。同じ途上国という枠組みの中でも、これほどまでに違いがあるのかと思い、途上国の定義について考えさせられた。

 フィリピンに行くにあたり、特に楽しみにしていたことが2つある。まず1つは、今回参加したワークキャンプのプログラムのなかに小学校訪問というものがあり、途上国の教育事情に関心がある自分にとってはまさに絶好の機会であった。現場の先生に直接生の声を聞けるということで、かなり楽しみだった。そしてもう1つ、とにかくフィリピンの生活を体験して、空気を味わうということである。この二つは直接その国に行かないと分からないことだと思うし、せっかく日本では得られないような貴重な体験をさせていただくのだから、思う存分フィリピンという国を満喫したいと思った。

 道路の整備状況について驚いたのは前述の通りだが、もちろんそのほかにも驚いたことは多々あった。まず、本当にフィリピン人は人がいいのである。これはフィリピンの国民性だと思うが、とにかく陽気だ。街を歩いていると韓国人と間違えてはいるが「アンニョンハセヨ」と気軽に声をかけてくるし、村の中を歩いていると覚えたての日本語で「こんにちは」と挨拶をしてくる。相当日本人が珍しかったらしく、いろいろ聞いてきた。こちらももちろん覚えたてのイロンゴ語で「マアヨンハポン」(こんにちは)と応答する。フィリピン人は英語のほかにタガログ語を話し、イロイロ市ではこれに加えイロンゴ語を話す。英語は大体通じるが、教育を受けてない人々は現地語を話すほうが通じる。よって村の中では挨拶程度の簡易な会話は現地語で、少し複雑な会話は英語でコミュニケーションを取った。

陽気な人たち いろいろ聞いてきた
陽気な人たち いろいろ聞いてきた

 また、彼らは歌がとても大好きである。どこにでも常に音楽が流れていたし、ギター片手にいつも歌っている。曲も聞いたことがある曲ばかりである。例えばマドンナ、ブリトニー、ビートルズなどだ。そして何と、長渕剛の「乾杯」も彼らは歌っていた!しかもサビの部分は日本語である。フィリピンでは知られている曲らしく、ギター一本で歌っている姿を見ると、大変感動した。

ギターをひく人たち 「乾杯」を歌っていた"
ギターをひく人たち 「乾杯」を歌っていた

 もちろん食事は新鮮な食材だ。冷蔵庫はないので、必然的に新鮮な食材になるのだが、とにかくおいしかった。朝はホストファミリーが取れたての魚とカニ、飯ごうで作られたほかほかのご飯が待っていた。ご飯は日本のものに比べて硬かったが少し味がついており、慣れてくるとさほど気にならなくなっていた。カニは村の屈強な男性たちが早朝に船で取ってきて、そのまま食卓に出されるので、文字通り海の幸であった。

 また、フィリピン人はよく食べる。一日四回食べるのだ。しかも朝を除いて全て肉ばかりである。肉好きにとってはたまらないが、ベジタリアンには少々きついかもしれない。ただ、果物も同じように毎回出てくるので、果物だけ食べても充分おなかいっぱいになるだろう。


網で取れたてのカニ
網で取れたてのカニ
朝食 すべて新鮮な食材
朝食 すべて新鮮な食材

 一つ特筆すべきことがある。それは、なんとホームステイ先には、電気が通っていたのだ。これにはびっくりした。その家については、基本的に不自由はなかったが、蟻と蚊がすごかったし、寝室の床は竹だった。写真を見るとお分かりだと思うが、我々が考える一般的な家屋である。しかし中には電気が通っていて、扇風機があり、電気スタンドがあり、コンセントがあるのだ。デジカメの充電器を持ってきていた私はかなり救われた。

 ここで考えられることは、フィリピンの、途上国のと言い換えても支障はないと思うが、生活水準がかなり上がっているということである。何度も言うが、私が行ったのは途上国の貧しい漁村である。そこに電気が通っていて、変圧器もなしに普通にデジカメが充電できる。しかも少し裕福な家庭では、何と日本製の大型カラーテレビがあった。聞くところによると街中では携帯電話が普及していて、機能も日本のものと変わらないという。私は少し途上国を見くびっていたのかもしれないと反省させられた。


寝室 床は竹 数日たつと慣れた
寝室 床は竹 数日たつと慣れた
ステイ先の家 電気が通っていた
ステイ先の家 これでも電気が通っていた

 さて、フィリピンの生活に慣れてきたところで、いよいよ一番楽しみにしていた学校訪問である。今回訪問したのはパナイ島にある小学校である。ステイ先の村の子供たちが通っている、普通の学校だ。生徒たちは、初めて見る日本人に興味深々。初めにいろいろ自己紹介をした後に、日本の文化についての○×ゲームなど簡単なイベントをした。

 その後、学校側からのプレゼンテーションがあって、いよいよ個人的に楽しみにしていた質疑応答である。とは言ってもそんなにあらたまってするものではなく、コーラや軽い食事を取りながらだったので、かなり和やかな雰囲気の中で行われた。校長先生に直々に質問できるということで、いろいろと質問を用意してはいたのだが、これが国民性であろうか、一度質問すると口から次々に話が躍り出てきて、私は聞くのに精一杯だった。しかもとても早口で話されるのでとてもではないが聞き取れず、英語ペラペラのコーディネーターに通訳してもらってようやく意味が分かった。こちらからの質問は1、2回しかできなかったが、その分フィリピンの先生の気持ちを多少は読み取れた。

 普段めったに来ない日本人に、学校のことを知ってもらいたい思いがあったように思う。また、これは去年カンボジアに行った時に学んだことだが「公の場でインタビューをしても本音はほとんど聞かれず、建て前の意見に終始する」という教訓?があるので、今回の場面設定はよかったように感じる。一応は学校なのだが、軽食を取りながらだったので先生の本音が見え隠れした。以下、私が学んだことを列挙してみよう。

・ 公立の小学校のカリキュラムは教育省が支配
・ 予算が農村は少ない
・ コンピューターはない
・ 資金がないから、お金持ちに寄付してもらっている
・ 元大統領エストラーダさんはどの学校にも教育資金がいくように募金を作ったが、実際は農村部にはお金がいってない
・ 金がない、両親の手伝い等の理由で学校に行けない子供はたくさんいる
・ 7月〜9月は雨季で雨が多く降るので子供が少ない
・ 成績優秀者には、民間団体から奨学金が出ている
・ 奨学金はお金じゃなくて、食事なども支援するものがある
アジアの中で日本だけが特別なのであって、このフィリピンの境遇はアジアでは普通
フィリピンでは種一つ植えれば育ち、生活ができるので、学校に行かなくてもいいという意識がある
・ 日本と聞けば昔は隠れていたが、今はそんなことはない
・ 「何を専攻してる?」とよく聞かれるが、それは成績によって入れる学部学科が決まってくるから
・ 音楽は「International Language」

 以上の中で、特に私が考察を加えたいものには下線を引いてみた。私たちは、少なくとも私は、フィリピンのような発展途上国の生活を「特別」だと思っていた。日本のような、望む望まないにかかわらず進学できるような先進国を「特別」だと考えたことは一度もなかった。考えてみると、フィリピンのような暮らしをしている国のほうが世界では圧倒的に多いのだ。それならば、少数派である日本を特別と考えるのは当然の成り行きであろう。また、発展途上国では第一次産業が主なので、学校に行かなくても将来生活ができる場合が多い。よって現地の人からすれば、何故お金を払って学校に行かねばならないのか、ということになる。このあたりも就学率が伸び悩む一因だろう。


生徒たち 初めて見る日本人に興味深々
生徒たち 初めて見る日本人に興味深々
全校生徒 子供たちはどこでも無邪気
全校生徒 子供たちはどこでも無邪気

 今回の旅行を通して感じたことは、発展途上国は決して悪くない、ということである。フィリピンは「自分が幸せと思うか」という幸福度の調査において、アジア一である。そして事実、本当にみんな幸せそうなのである。常に笑いが溢れていて、村の中を歩いていると誰もが声をかけてきて、覚えたての日本語で挨拶をしてくれる。本当に誰もが、である。自分たちが幸せなのであったら、例え発展途上国でも関係ないだろう。そして先進国は、決して良くはない、ということも言える。我々日本人は少し「先進国は本当に先進国か」「発展途上国は本当に発展途上国か」ということについて考えてみたほうがいいかもしれない。

 所詮、先進国と発展途上国という概念は「産業が発達している国の人間たちが勝手に決めたもの」にすぎない。だが、産業レベルだけを基準に決めていいものか、そして本当は、我々日本のほうがいろいろな意味で発展途上国かもしれない。そう感じさせてくれるほど、フィリピン人たちは心が肥えていた。

 最後に、この旅行の機会を与えて下さった「研究旅行奨励制度」に感謝したい。この制度は非常にすばらしい制度だと思う。フィリピン人、日本人キャンパーが例外なくこの制度をほめていた。もっと大々的にこの制度をPRして、多くの人にこの制度を知ってもらえたら尚よいと思う。この貴重な経験を、今後の大学生活に生かしていきたい。


キャンパー集合 素晴らしい仲間たち
キャンパー集合 素晴らしい仲間たち
全員集合 みんな本当にいい人たち
全員集合 みんな本当にいい人たち


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