ハワイの伝統文化フラ

2005年度 アメリカ文化コースB 選考者報告


はじめに

 現在、ハワイに伝わるフラには大きく分けて2つのスタイルがある。それはカヒコと呼ばれる古典フラとアウアナと呼ばれる現代フラだ。

 フラに古典式と現代式があると知ったのは、大学2年のときに受けた文化交流論という授業の中で見たビデオがきっかけである。そのとき初めてカヒコの踊りを見て、私は衝撃を受けた。なぜなら、私のイメージしていたフラとは雰囲気が全く異なる踊りだったからだ。そのビデオを見てからというもの、私はフラに興味をもち、フラについてもっと知りたいという気持ちから卒論でフラをテーマに研究することに決めたのである。研究に先立ち半年前からフラを習いだしたのだが、カヒコもアウアナもハワイの自然や神話・歴史などを想像しながらそれを体で表現するという点において実に難しい。

 ここで、フラの歴史について簡単に述べておく。フラは、足でステップを踏み手で言葉を表現するという古代ハワイのポリネシア系先住民の間で踊られ始めたポリネシアダンスの1つである。宗教儀式を重んじた古代ハワイにおいてフラは重要な役目を担っていた。フラに大きな変化が訪れるのは19世紀に入ってからのことである。アメリカから渡ってきた宣教師たちが、裸に近い格好でフラを踊るハワイ人たちを見て、フラを禁ずるようハワイの王に命じたのである。フラは、1830年に公式の場で踊ることを禁じられ、1874年にカラカウア王によって禁止令が解かれるまでの約50年の間姿を消した。復活したあとのフラは、古代の宗教儀式に使われたような踊りではなく、流入してきた移民や観光客に対して見せるためのエンターテイメント性が強まった踊りであった。これがアウアナである。それに対してカヒコは、1980年半ばにハワイアンルネサンス運動の一部として復興した古典スタイルのフラである。

 今回の研究旅行では、フラのルーツを探ること・カヒコとアウアナの違いを自分の目で見て比較すること・卒論のための文献を探すことを大きな目的とし、これから述べる以下のような場所を訪れた。

ポリネシア文化センター

 ポリネシア文化センターは、ポリネシアの島々のうちトンガ・フィジー・タヒチ・サモア・アオテアロア(ニュージーランド)・マーケサス・ハワイの7つの村で構成されており、この7つの島国の生活様式や伝統に触れることができる場所である。フラは、文字を持たなかった古代ハワイのポリネシア系先住民の間で神への祈りを捧げる宗教的儀式の一環として踊られたことに始まるポリネシアダンスの1つであるので、フラの起源を探る為ここを訪れた。センターでの案内をしてくださったのが、日本人留学生の方々である。このポリネシア文化センターで働いている方の8割は、隣接する大学に通う学生たちであるそうだ。学生たちは皆、ボランティアで働いており、ポリネシア人の学生たちは自分の村の衣装を着てショーにでたりセンター内の案内役をしたりし、その他の国から来ている学生たちは自分の国から来た観光客の案内役をつとめている。

 私はまず7つの村によるカヌーショーを見に行った。それぞれの村が、伝統的な衣装を身にまとい独自の楽器のリズムに合わせて踊りを踊るというものだった。ハワイ村はもちろんフラを踊っていたが、やはりショーということもあり、アウアナに重点がおかれていた。タヒチ村はタムレと呼ばれる激しく腰を振るダンス、アオテアロア村はマオリ族の踊りで男性は顔や体にペインティングをほどこしていた。どの村も独自の伝統的な踊りでとても見ごたえのあるものだったが、似通っている点がたくさんあると私は感じた。


ハワイ村
ハワイ村
タヒチ村
タヒチ村

アオテアロア村
アオテアロア村

 その後、私はトンガ村のドラムパフォーマンスを見たりアオテアロア村のポイボール体験をしたりした。フラでHanoという鼻笛やPahuというココナッツの木をくりぬき鮫皮をはった太鼓の楽器をカヒコで使うのだが、トンガ村の男性も同じような楽器を使っていた。ポリネシアダンスの1つとしてフラが派生したルーツを探るには、打楽器から調べていくのもいい方法ではないかと思った。ハワイ村では、ハワイを代表する主食ポイの試食やフラ・アウアナを踊る体験ができた。心地よい音楽を聴きながら体を動かすと自然と笑顔になる。アウアナを踊るダンサーの顔が皆笑顔である理由は、体全部でフラを踊ることの楽しさや喜びを表現しているからであろう。


トンガ村のドラムパフォーマンス
トンガ村のドラムパフォーマンス

 ポリネシア文化センターのフィナーレを飾るホライズンというイブニングショーは、本当に素晴らしかった。7つの村のショーが次々に舞台上で繰り広げられ、火や水を使う村のショーのときには時おり見物客から歓声があがっていた。ハワイ村では、カヒコとアウアナの両方を踊っていたのでぜひとも写真を撮りたかったのだが、撮影禁止の札を持った係員がうろうろしていたので断念した。私は、このとき初めて男性が踊るカヒコを見ることが出来た。男性のみが踊るカヒコは、アウアナしか見たことがない人にとってはフラの踊りだと分からないかもしれない。打楽器のリズムとチャント(詠唱)に合わせて、足を地面に踏みつけたり手をたたいたりして音をだし、上半身裸でずっと低姿勢でニコリとも笑わず真剣な眼差しで踊る姿はとても力強く迫力があった。女性も昔は上半身裸で踊っていたが、現在カヒコを踊るときは服を身に着けている。その点から考えてカヒコは古典フラとはいえ古代のフラを完璧に受け継いでいるわけではないのではないか、と私は思う。現在のカヒコという踊りは、文化の再構成という動きの中で生まれた新しい文化の一つなのではないだろうか。

クヒオビーチ・トーチライティング・フラショー

 これは、ワイキキにあるクヒオビーチで毎日夕方6時半から約1時間かけて行われている無料ショーである。私は3日連続でこのショーを見に行った。無料ショーとはいえ、ハラウ(フラ教室)を開いているクムフラ(フラの先生)と生徒がステージ上でカヒコもアウアナも踊る本格的なフラショーである。

 まず赤いふんどし姿の男性が現れ、たいまつの火を灯し、ほら貝を吹いてショーの始まりをつげる。ここでは、ケイキと呼ばれる子供たちのフラを見ることが出来た。ハワイのフラダンサーの多くは、幼い頃からハラウに通い始める。クムフラからハワイの歴史やハワイ語を学び、フラに欠かせないチャントを理解していくのだ。カヒコとアウアナの両方を一生懸命に踊る子供たちの姿は実に立派だった。彼女たちは、これからたくさんの練習を積んで一人前のフラダンサーになっていくに違いない。

ホラ貝をふく男性
ホラ貝をふく男性


 ここで感じたことは、やはりアウアナは「見せる」ための踊りであるということである。カヒコのときは静かだった見物客が、アウアナになるとウクレレやギターの音楽に合わせて手をたたきステージ上で踊っている子供たちを応援しだしたのである。アウアナの魅力は、踊っている人も見ている人も楽しい気分になれることである。

フラ・カヒコ
フラ・カヒコ
フラ・アウアナ
フラ・アウアナ

ビショップ博物館

 ビショップ博物館は、ワイキキから少し離れた場所にある太平洋地域最大の自然科学歴史ミュージアムである。250人を超える教育家・学芸員・科学者が在籍し、ハワイの原住民族・太平洋の島々・ハワイ移民の生活を伝える展示品120万点以上を所蔵している。

 私は、フラとレイ作り体験ができるラ・クレアプログラムに参加するため日本で事前予約しておいた。ラ・クレアとは、ハワイ語でハッピーデイという意味だそうだ。ここでのフラレッスンは、パウスカートを着用しククイナッツのレイをかけてフラ歴30年以上の先生からアウアナを1曲習うという本格的なものだった。レッスンは1時間程度の短い時間だったが、ハワイ語の歌詞の意味を先生に教えていただきながら踊ることができ、とても充実した時間をすごせた。私はカヒコも習ってみたかったのだが、ハワイ語のチャントを忠実に理解し体で表現するカヒコを短時間で教えることはできないと先生がおっしゃっていた。

 フラレッスンが終わると博物館の中に案内され、男性と女性それぞれのカヒコとアウアナの踊りを見ることが出来た。男性が踊るカヒコは、本当に力強く勇ましい踊りだ。布を体に簡単に巻きつけたような質素な衣装で指先を一点に見つめ踊っていた。女性が踊るカヒコも見ている者に力強い印象を与える。カヒコは打楽器のリズムとチャントに合わせて踊るが、ハワイ語が分からない私にはどのような内容の踊りが理解できない。フラを理解するためにはチャントの勉強が必要不可欠であると痛感した。一方アウアナは、男性はアロハシャツ、女性はムウムウといった衣装を着てウクレレの音楽に合わせて軽快に踊っていた。アウアナは、歌詞の内容が理解できなくても楽しめる踊りだ。その後、博物館員の方の説明を聞きながら館内を見て回った。昔のフラに使われた腰ミノや、カヒコで使われる打楽器、19世紀頃のフラダンサーの写真など興味深いものがたくさん展示されていた。ビショップ博物館の方々のご好意でここに展示物の写真を掲載することを許可してくださったので、お言葉に甘えて私が撮ってきた写真のうち何点かを掲載したいと思う。

腰ミノ
腰ミノ
フラで使う楽器
フラで使う楽器

 レイ作り体験では、フラレッスンの時にも使ったククイナッツのレイを作った。私自身フラを日本で習っているので、このレイは今後も大切に使わせていただこうと思う。

 ビショップ博物館では、ハワイやフラに関する本を多数出版している。私が博物館に来た理由の1つは、卒論研究のための文献探しである。あらかじめ文献リストを作っていったのだが、私が真剣に文献を探していると博物館員の方が親身になって一緒に探してくださった。とてもありがたいことだった。日本でコピーは手に入れることができた文献の現物が欲しくて探していたら、一緒に探してくださった方が在庫を確認してくれて、完売していると残念そうにおっしゃったので、その文献を手に入れることはあきらめた。しかし、リストに挙げていた文献以外にも研究に役立ちそうな文献を何冊か手に入れることができた。ビショップ博物館は、子供から大人、そして研究者まで楽しめる素敵な場所であると感じた。ハワイを訪れる際には、ぜひ足を運んでいただきたい。

ククイナッツのレイ
ククイナッツのレイ
ビショップ博物館
ビショップ博物館

イオラニ・パレス

 イオラニ・パレスは、カラカウア王によって1882年に建てられた宮殿である。現在では、アメリカにある唯一の宮殿としても知られている

 アウアナの踊りに使われる音楽や衣装には、外国から持ち込まれた文化がたくさん取り入れられている。代表的な例は、ポルトガル移民によってハワイに持ち込まれたウクレレの原型であるというブラギーニャという小型ギターである。そこで、フラを復活させアウアナを生み出すきっかけを作ったと思われるカラカウア王の生活環境を知るために、日本語ツアーが行われている時間帯があったので事前予約をしてイオラニ・パレスを訪れた。洋服で覆って踊るしかなかったのではないだろうか。

 パレスでは家具や調度品に手を触れたりカメラやビデオを使用したりすることは一切禁じられており、中に入るためには汚れをつけないために靴の上に靴カバーをはかなければならないと決められていた。そのような決まりもあってか、パレスの中はとても綺麗な状態だった。大広間にはハワイ原産のコアの木でできた立派な階段があり、歴代の王たちの肖像画が壁の高い部分に飾られている。国内外から様々な賓客が招待されたという正餐室では、イギリスやフランスその他の国から送られてきたという食器が飾られてあり、またカラカウア王が公務に励んだというライブラリーには電球や電話がとりつけられてある。

 19世紀後半というのは日本でも大きな変化が起こった頃だが、このイオラニ・パレスを見て回ると、当時のハワイも目覚しい発展をとげていたのだろうということがうかがえた。ほぼ裸に近い状態でフラを踊っていたハワイの人々がフラを禁じられ、フラが復活するまでの約50年の間にハワイに起こった変化を受けて、フラが復活したときには全身を洋服で覆って踊るしかなかったのではないだろうか。

 イオラニ・パレスで案内をしてくださったのが、チズミ・ギルバートさんという女性の方だ。彼女は、ボランティアで日本語ツアーの案内役をつとめているそうだ。フラを踊ることが生活の一部だという彼女にフラについての質問をしたら快く答えてくださった。ここで、彼女がおっしゃっていた中で印象的だったことを書きたいと思う。

「フラとは、踊りの上手さを誰かと競うものではなく、ハワイの大地の精気を足先から手先まで感じながら、チャントに合わせて体全部を使って言葉を表現することです。」

 別れ際に彼女に呼び止められ、思いがけないプレゼントをいただいた。彼女が作ったという花飾りである。フラの研究がんばってね、というお言葉も頂戴し、私はイオラニ・パレスをあとにした。

イオラニ・パレス
イオラニ・パレス
プレゼントの花飾り
プレゼントの花飾り

おわりに

 ハワイでの滞在期間は1週間という短い期間だったが、とても有意義な時間をすごすことができた。現地で見たこと・聞いたこと・感じたことをこれから書く卒論で活かしたいと思う。

 最後になりましたが、このような機会を与えてくださった国際文化学科の先生方と研究旅行を行うにあたりお世話になった全ての方々にお礼の言葉を述べたいと思います。本当にありがとうございました。心から感謝しています。



<参考文献>

・ 伊藤彩子 著 『フラダンスのはじめ』 WAVE出版 2004年
・ 中嶋弓子 著 『ハワイ・さまよえる楽園:民族と国家の衝突』 東京書籍 1993年

<参考 website>

ハワイ州観光局



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