グラン・シャレの光から生まれた絵画

2004年度フランス文化コース選考者報告


【はじめに】

 バルタザール・クロソフスキー・ド・ローラ(Balthazar Klossowski de Rola)、愛称バルテュス(Balthus 以下画家と記す)は、1908年パリに生まれた。13歳で初のドローイング集『ミツ(Mitou)』を出版し、1934年の初個展で一躍有名となったが、当時流行していたシュルレアリスムや構成主義の運動には全く関わらず、独自のスタイルを貫いた。1977年からスイス ロシニエール(Rossiniére)のグラン・シャレ(le Grand Chalet 大きな山小屋の意)を終の棲家とし、画家の作品とアトリエの保存・公開、画家の精神をひろく一般に伝えることを目的とするバルテュス財団が1998年に創設された。2001年画家の死後もその意思は受け継がれ、2003年9月、財団の本拠地としてグラン・シャレが一般公開され始めた。

この旅の目的は、
1.画家が晩年を過ごしたロシニエールやグラン・シャレを訪れることで、
  画家が見たもの・感じたものに触れ、バルテュス理解を深めること、
2.日本ではほとんど見ることができない画家の作品を鑑賞し、より深く理解すること、
3.日本では手に入り難い画家に関する文献を集めること、の3点である。

 しかし当初の目的は、画家が愛した自然の光の下、グラン・シャレで作品を鑑賞することにあったが、財団との交渉の結果、その目的を達成することは大変難しいと思われたので、作品は美術館でのみ鑑賞することとなった。画家の作品はそのほとんどが個人蔵のために、鑑賞することはとても難しい。しかし画家は後年、財団のために作品を多く買い戻しており、財団も作品公開を目的として掲げているので、研究のためにぜひ見せてもらえればと申し出たが、作品は見せられないということだった。さらにお願いを続けたが、受け入れてもらえなかった。ここでの反省点としては、研究旅行奨励制度の受給が決定してから出発までの準備期間が短く、粘り強く交渉できなかったことと、正式な手紙の書式さえ知らず、大変手間取ってしまったことが挙げられる。しかし財団側にも、情報公開があまりできていないこと、掲げた目的が達成されていないことなどの問題点を指摘することもできる。財団で作品を鑑賞できなかったことは大変心残りとなったが、この経験と反省点を次回につなげていければと思う。

【ロシニエールへ】

 スイス西端に位置するレマン湖の右端、モントルーから電車で約1時間、シャトー・デー(Chateau d'oex)という街に到着した。この辺り一帯は本当に自然が美しい。青くて広い空、脈々と連なる山、一面の牧草地。尻尾を振りながら牛が草を食み、遠くから家畜がつけたベルの音が聞こえる。まるで「アルプスの少女ハイジ」の世界そのもの。ロシニエールまではそこからわずか一駅だが、そこは少し違った雰囲気を持っていた。山々は今にも私を押しつぶさんとばかりに迫り、そこから吹き降ろす風は冷たかった。音という音はほとんどなく、時折鳥のさえずりと、芝刈り機の音が遠くから聞こえてくるだけである。電車は1時間に1本しかなく、駅周辺はほとんど人気もなかった。とても寂しく、冬になって雪が降り積もると鬱病になりそうだ。このようなところで画家は生活し、作品を生み出していたのかと少し以外に思ったが、彼の作品に漂う静寂さは、まさしくここに漂うものと同じものであった。


シャトーデーの景色
シャトーデーの景色
ロシニエールの景色
ロシニエールの景色

 駅から歩くこと約5分でグラン・シャレに到着した。ここはスイス最大の木造建築で、元はホテルとして使用されていた。ここまで来ると、大変感慨深いものがある。家の周りには観光客が殺到し、ひっきりなしに写真を撮っていた。今夏は、アンリ・カルティエ=ブレッソン(Henri Cartier-Bresson)とマルティン・フランク(Martine Franck)による写真展が開催されていた。写真によって、画家が実際に飼っていた猫や使用していた数種類の椅子(それらはしばしば作品にも描かれた)を見ることができた。写真の中の画家は、ときには厳しく思いをめぐらし、ときにはにこやかに微笑み、ときには神妙な面持ちで猫の背中をなでており、既に亡くなった画家について知るよい機会となった。画家の奥さんの節子さんをほんの1,2分垣間見る機会があったが、大変急がしそうで声をかけることはできなかった。彼女はきちんと着物を着て、その振る舞いはいかにも女主人といった感じだった。


グラン・シャレ
グラン・シャレ
展覧会会場入り口
展覧会会場入り口

バルテュスの写真展
バルテュスの写真展

 街の中心地からさらに斜面や階段を登っていくと、灰色の小さな教会がある。2001年2月24日、ここで画家の葬儀が執り行われた。本来この教会はプロテスタントなのだが、その日だけはバルテュスの信仰に従ってカトリックの司式によりミサが行われた。そして今年、グラン・シャレは創立250周年を迎える。それを記念して、街のいたるところに猫に関する作品が展示されていた。子どもたちからプロのアーティストまで、様々な人々が製作した63点の猫の作品は、今は亡き画家へのオマージュのようだった。


ロシニエールの教会
ロシニエールの教会
教会の内部
教会の内部


猫の作品コンテスト
猫の作品コンテスト
猫の顔には画家のポートレートが
猫の顔には画家のポートレートが

 ロシニエールやシャトーデーに滞在していてとても印象的だったことは、太陽の光がとても明るくて、しかも透明であるという点だ。朝は6時前から明るく、夜は10時過ぎにならないと暗くならない。そして外が明るい間、わたしは一度も部屋の電気をつけなかった。ものや色は光によって見える。バルテュスがアトリエで電気をつけず、自然の光のみで作品を制作していたのも、全く不思議ではないと感じた。なぜなら展示室で写真を照らしていたスポットライトはむしろ眩しいくらいだったし、展示室の窓からこぼれてくる光、青々とした緑を反射してこぼれてくる光は、とても美しかったからだ。

ロシニエールの景色2
ロシニエールの景色2
グラン・シャレ2
グラン・シャレ2

【ポンピドゥー・センター(パリ)での作品鑑賞】

 Qualifier mon oeuvre d'érotique est idiot ; les jeunes filles sont des êtres sacrés, divins, angéliques.
(わたしの作品をエロティックと呼ぶのはばかげたことだ。なぜなら少女たちは神聖で、崇高で、天使のような存在なのだから。…)

 ここでわたしは3点のバルテュスの作品―≪キャシーの化粧(La toilette de Cathy)≫1933年、≪ロジェと息子(Roger et son fils)≫1936年、≪鏡のなかのアリス(Alice)≫1933年―を鑑賞した。画家の作品、とりわけ少女を描いた作品は、エロティックであると当時も現在も言われていることである。今回鑑賞した作品は少なからずとも性的なものを主張していたが、そこから感じられるすべてはただ「美(beauté)」のひとことで、わたしはすっかり作品に見入ってしまった。このようにすばらしい作品がなぜエロティックであると誤解されているのだろうか。「少女」という近・現代の産物はエロティシズム(érotisme)と切っても切り離せなくなっており、その需要はますます高まる一方である。《鏡のなかのアリス》は、まるで熟れた果実のように赤い性器と緑色の靴が補色関係にあって、とてもすばらしい作品だったし、このことは図版だけでは全く判別できないことであった。画家の少女を描いた作品には赤と緑の補色を使ったものが多い。少女が着用している衣服が赤色で、彼女が座っている椅子やその他調度品が緑色であることがほとんどである。赤い色と少女との関係性は何であろうか。また、画家が最も大きな影響を受けた画家の一人、ニコラ・プッサンの作品も、ルーヴル美術館(パリ)で鑑賞することができた。


ポンピドゥー・センター
ポンピドゥー・センター
ニコラ・プッサン《エコーとナルキッソス》
ニコラ・プッサン《エコーとナルキッソス》

【購入した文献より】

『Balthus』 Editions Assouline 2000
  この報告書に一部引用あり。

『BALTHUS Correspondance Amoureuse Avec ANTOINETTE DE WATTEVILLE 1928-1937』
  Bouchet/Chastel 2001
 この本は、画家とその最初の妻アントワネット・ド・ワトヴィルとの書簡集である。画家はアントワネット宛の手紙の署名に、初めは「Balthus」や「B.」と表記していたのを、1935年1月頃からしばしば「The King of Cats」とし、「B, the King of Cats, the greatest man of the XXth century 」(8月16日付け)という表記もあった。1935年といえば、バルテュスの重要な自画像、《猫たちの王(The King of Cats)》が製作された年であり、以上のことからこの作品に表記されている署名「A PORTRAIT OF H.M. THE KING OF CATS painted by HIMSELF MCMXXXV」の「MCMXXXV」はローマ数字の1935年という意味であることが分かった。また、同じく作品にある「H.M.」という表記について1935年12月11日付けの手紙に、「H.M.B.K.o.C.」と署名があった。おそらく「B.」はBalthus、「K.o.C.」はKing of Catsを表していると考えられる。「H.M.」も何かの略字である可能性が高い。また、アントワネットを「Queen of the Cats」と呼びかけていたりして大変おもしろい。若さゆえの過剰な自信とナルシシズムが見て取れる。

【感想】

 En effet, si Dieu, après avoir créé le monde, a pensé que c'était bien, c'est parce que c'était beau.
(事実、神が世界を創った後にそれをよしとされたのは、世界が美しかったからだ…)

 わたしはこの旅で、ふたつの美のかたちを見た。ひとつはスイスで見た神が創った美―すなわち自然であり、もうひとつはフランスで見た人間が創った美―すなわち芸術、とりわけ美術である。神は人間を自分に似せて創ったという。そしてその人間は、神がこの美しい世界を創った手と同じその手でこんなにもすばらしいものを創ることができる。美術を勉強していて本当によかった。また、これからも研究を深めていきたいと思った。

 わたしは今まで机上で画家や画家の作品についてかなり時間をかけて勉強してきたが、実際に画家の“顔”や画家が生きた場所、本物の作品に触れて、新たに発見することが多かった。このことを卒論に大いに生かしたいと思う一方で、日本だけに留まってヨーロッパの美術を研究することの限界もまた感じた。日本語で書かれたあるいは日本語に翻訳された文献のみで、実際に作品に親しむこともなく美術作品を研究することの限界。この限界をいかに克服していくかが今後の課題である。

 そして、バルテュス財団で作品を鑑賞できなかったことは本当に大きな心残りとなったが、社会を知るたいへんよい経験にもなった。1度や2度頼んだくらいでは見せてもらえない。このことを生かして、次回は必ず作品を見せてもらえるように、きちんと計画を立て、あらゆる方法でアプローチをし、実を結びたいと強く思った。

 最後に、こんなにもすばらしい体験ができたのも、一重に国際文化学科の先生方のおかげである。この場を借りて心から感謝したい。この旅は、これからのわたしの人生にとって大きな自信となるはずだ。

【バルテュスのWEBでの展示】

 Centre Georges-Pompidou(ポンピドゥー・センター)のトップページで「Balthus」と検索をかけると、「PRESENTATION ACTUELLE DES OEUVRES DU MUSEE」(仏)または「WORKS CURRENTLY ON SHOW」(英)の項目に所蔵作品が表示されますが、紹介した3点《キャシーの化粧》《ロジェと息子》《鏡の中のアリス》以外は、現在展示されていません。



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