![]() 2003年度アメリカ文化コースB選考者報告 |
今回、私は宮古島・読谷村波平を中心に7月15日から8月25日までの42日間の日程で沖縄文化を見て、触れて、そして感じることで沖縄の人々の文化を学ぶことができた。この滞在中に私は各地の祭りに参加したり、伝統的な慣習や伝統芸能を体験することができた。ここでは私が実際に体験した儀式や伝統的な芸能を中心に報告してみたい。
![]() 写真1 シーサー |
![]() 写真2 15世紀タイから伝来した焼き物 |
![]() 写真3 ミンサー織り |
さて、話を宮古島の大綱引きに戻してみよう。大綱引きとは300メートル以上もある大綱を東西、男女などに分け豊作などの成就を願う行事である。たった今述べたとおり祭りに対しては女性の優位性が認められている。そのため元来、この大綱引きも祭祀儀礼の一部として用いられてきた。「年占いとしての綱引き」である。東方を男性/西方を女性とし、東方が勝てば凶作、西方が勝てば豊作になるとされており神聖な女性の力で大きな男性を打ち負かすという儀式を行うためのものであったのだ。現在は、西方勝利の場合が豊作で東方勝利の場合豊漁という観光客へのアトラクション的香りの強いものとなってはいるものの競われた大綱を各自が少しずつ豊穣祈願のお守りとして持ち帰るなど豊作・豊漁祈願の儀式という考えとして残っているように見受けられた。
少し話が前後するが先程西側である女性が勝つことが重要視されていたと言ったが何故勝つのは西方でないといけなかったのであろうか。そのことについても触れておこうと思う。沖縄には「ニライカナイ」という概念がある。『おもろさうし』などの祭祀歌謡集の中での「ニライカナイ」は東方の彼方といわれているが、この場合の「ニライカナイ」とは沖縄の西の海の果てに在るとされる理想郷のことである。人々は死後「ニライカナイ」に行くことが最大の幸福とされており、沖縄のお墓などは基本的に西側の海沿いに作られることが多いのもこの為である。このような沖縄の人々にとって西という方角は神の住む神聖な方角という考え方がある為、祭りごとの際には西側に重きをおくことは自然のことといえるであろう。世界に綱引き行事を行う地域は韓国を筆頭に東南アジア、アフリカと数多くあるが、沖縄の綱引きにこのような特異な決まりがあるのは今述べたような沖縄文化独特の概念がある為ではないだろうか。
宮古島にはオトーリと呼ばれる人々に深く根付いた伝統的習慣がある。これは泡盛を集団で延々と回し飲みし続けるという何とも宮古島らしい習慣であるが、今回自分も滞在中3度ほど参加させてもらうことができた。宮古島にとってオトーリは生活の一部ともいっても過言ではない。島中どこでもオトーリをまわす姿を見ることができ、オトーリ専用グラスや泡盛があちこちで売られているほどだった。はじめは興味半分、怖さ半分で混ぜてもらっていたが皆「んみゃーち(ようこそ)」といって迎え入れてくれるものだから私もすっかりその気*になってしまっていた。
![]() 写真4 宮古島のオトーリ 1 |
![]() 写真5 宮古島のオトーリ 2 ![]() |
さて、これまでは沖縄の祭祀について宮古島での体験を中心に述べてきたが次に沖縄の年中行事について沖縄中部にある読谷村波平での旧盆儀礼について触れていきたいと思う。今回、読谷では8月1日から25日まで滞在したのだが、旧暦の関係で幸いにも沖縄のお盆の行事に参加することが出来た。それを踏まえ話そうと思うがその前に沖縄の家族体系について少し説明しておこう。沖縄には門中制度という父系中心の家族形態を表す概念がある。これは中国・韓国など同様の父系社会の体制を持つ地域から伝わり体系化されたものである。門中とは始祖の男系血縁者によって構成される集団で、「同じ根(始祖)から生まれ枝分かれした(子孫)ガジュマルのようなもの」といわれている。本家の長男は血縁内の祖先祭祀に関する機能をもっており位牌(トートーメー)を祀るなどの権利を持っている。これらの一族の男性(特に長男)はこれを遵守・継承することで父系の血筋体系を継続させている。この門中の強い結びつきを表す行事としては、家族成員が共同墓に参集してお墓の前で食事をしながら祖先祭祀を行う清明祭があるがこれらも中国から伝わって昇華した沖縄の特色ある伝統といえるであろう。
![]() 写真6 エイサー |
![]() 写真7 カチャーシー |
![]() 写真8 三線 |
今回の研究旅行では、文化をただ机上の学問として捉えるのではなく実際に触れて体で学ぶことができた。実際に現地に行って多くの人に話を聞くことや、実物を見ることでその地域の背景を知る事ができ、そのことによって文化の繋がりや現在の状況を感じることが出来たのは本当に自分にとって素晴らしい体験であった。この旅では文化だけでなく戦争のこと、それに伴う基地問題のこと、リゾート開発のことなどを聞くことが出来たのだが、沖縄はこれまで多くの文化を柔軟に取り入れ発展させてきた文化である。我々も文化を文化だけで捉えるのではなく周りの多くの事象の一つとして捉える姿勢が重要であるように思う。
最後に、突然飛び込んでいったのにも関わらず寛容に受け入れて下さった多くの方々に感謝したい。沖縄には「いちゃりばちょーでぃ」という言葉があるが、私にも沖縄の方の人との繋がり=ユイマール(結びつき、共同体)を大切にするチムナサキ(人情)の精神がひしひしと伝わってきた。この「いちゃりばちょーでぃ」とは出会った人は皆兄弟であるという仲間意識の事なのだが、その言葉通り私もこの旅では多くの人に時に支えられ、時に自分の考え方を覆されるような体験をさせてもらうなど一人の人間として成長させて頂いた。この経験を活かし、一つ一つの出会いを大切にしながら積極的に様々な事に挑戦していきたいと思う。
![]() 写真9 沖縄の海 |
![]() 写真10 厨子甕 |
『沖縄の神と食の文化』 赤嶺 政信 監修 青春出版社 2003年
『沖縄入門』 比嘉 康文・岩垂 弘 著 同時代社 1997年
『沖縄文化論』 岡本 太郎 著 中公文庫 1996年
『世界の中の沖縄文化』 渡邊 欣雄 著 沖縄タイムス社 1993年
『沖縄チャンプルー文化創造論』 比嘉 佑典 著 ゆい出版 2003年