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イスラム建築におけるムカルナスの形状とその意味するものの調査
―聖と俗、アーチネットの比較を通して―

13AR196 丸山綾子
 

期間:2012年8月1日〜8月8日

1 目的
 今回の研究旅行の目的は、卒業論文の中心テーマであるムカルナス(muqarnas、イスラム建築で、鍾乳石状、蜂の巣状に小さな曲面を集合させて凹曲面を 作りだす建築装置、天井によく用いられる)の建築におけるその形状と意味を調査することである。イスラム建築の代名詞とも言える幾何学文様による装 飾がモスクを装飾し始めたのは8世紀以降のことで、権力の誇示とイスラムの偉大さを表象するものとして発展を始めた。中でもイスラム建築に特有なもの がムカルナスである。ムカルナスそのものは11世紀末ごろに誕生し、13世紀後半から15世紀にかけてイスラム圏各地で流行した。その流行の背景としては心 地よさを求めて幻想的かつ現実逃避的な要素を好むイスラムの空間特性が考えられる。偶像崇拝や写実的表現を禁ずるイスラム世界で大流行したにもかかわ らずキリスト教建築ではあまり目にしないことから、ムカルナスはイスラム教徒が持つ独特の美意識や精神性を表すものとして最適であったと考えられる。 今回行き先に選んだスペインのアルハンブラ宮殿(Palacio de la Alhambra)は獅子のパティオがムカルナスを多用した中庭建築として有名であるが、世俗 建築であるがゆえにイスラム教徒が装飾に寄せた心情がより直接的に表れているのではないかと推測している。
 またムカルナスが誕生するきっかけが見られた10世紀ごろ、スペインやモロッコではアーチネット(arch net)という架構装置が生まれた。これはアー チを立体的に交差させて曲面架構を作る技法であるが、スペイン・コルドバのメスキータ(Mezquita、スペイン語でモスクを指す)はその技法を用いた古い 例で、以後のアーチネットの進展において基礎的な図形になった。アーチネットを立体的な構造にしたものがムカルナスであり、これら2つの技法は元々構 造的役割を持っていたが時代が進むにつれて装飾として扱われるようになった。今回の研究旅行は2つの比較も行いつつ、ムカルナス形状の多様性、その聖 俗建築における表現上の差異などを現地で調査することで、ムカルナスの意味するものを考察するという目的で行なった。

アーチネット ムカルナス

2 行先と日程
■行先
スペイン アンダルシア州のコルドバ、グラナダ
■日程
8月1日 飛行機でマドリードのバラハス空港へ
8月2日 コルドバへ移動。到着後にイスラム式庭園のアルカサルへ。
8月3日 メスキータ、コルドバ考古学博物館
8月4日 グラナダへ移動。
8月5日 アルハンブラ宮殿
8月6日 マドリードへ移動。
8月7日 朝の飛行機でマドリード・バラハス空港より帰国。

アルハンブラ宮殿 獅子のパティオ グラナダの景色

3 メスキータ
 このモスクは後ウマイヤ朝のアブド・アル・ラフマーン1世(731年-788年、在位756-788)がコルドバ教会の土地を買収し785年に 建設を命じたことから始まった。メスキータは、建設の命令から1年で完成した後3度の大規模な増築が行われる。今回注目しているアーチネットが作ら れたのは2回目の増築の時で、961年ハカム2世(914年-976年、在位961-976)の命によるものであった。彼の親であるアブド・アル・ラ フマーン3世(889年-961年、アミール在位912年-929年、カリフ在位929年-961年)が後ウマイヤ朝初代カリフに即位し、この国は 政治的にも宗教的にも独立を遂げた。その後の増築であったため、国家権力の象徴としてミフラーブの前にマクスーラ(貴賓席)が設けられた。その天 井を飾っているのがアーチネットである。ドームの骨組みを装飾文様化したこの技法は、その後の発展で骨組みがその太さを感じさせない、面と面の接 線へと変化を遂げていった。アーチネットはメスキータにおいて取り入れられて以降、西方イスラム世界のモスク特有の特徴になった。その後13世紀に レコンキスタが完了したことによってこのモスクはカトリック教教会となり、現在はメスキータの中にカテドラルが存在している。
 実際にメスキータに足を運んでみると建物内部の8割以上がカテドラルと化していて、ところどころに残る装飾やミフラーブによってそこがかつてモスク であったことが分かる。モスクの名残であるミフラーブはメスキータの一番奥にあり、それより手前や壁沿いにはカトリックの祭壇や礼拝堂が設置されて いる。礼拝堂の前にはキリスト教の天井画が描かれているが、床や壁はメスキータ時代に施されたものと思われるタイルで飾られていた。イスラム教とキ リスト教が混在した不思議な空間であった。
 アーチネットは3つ、ミフラーブ前のマクスーラ上に架けられており、他の天井と比べるとここだけが豪華に装飾されていた。特にミフラーブ正面、3つ あるうちの真ん中にあるアーチネットは一番手が込んだ装飾だった。他の部分の天井にここまで凝った装飾が施されていなかったことから、このアーチネ ットはマクスーラの強調という目的が大きかったのだろうと考えられる。また、アーチネットにおいて交差する骨組みが作りだす凹曲面の1つ1つが積み 重ねられていくとムカルナスが形作られる。

メスキータ アーチネット メスキータ オレンジの中庭

4 アルハンブラ宮殿
 アルハンブラ宮殿は、宮殿という名を持ちながら城塞の性質を持っており、「アルハンブラ」という言葉も「赤い城塞」を意味している。そこは 住宅・モスク・学校・墓など、様々な時代の建築物の複合体である。その原型は後ウマイヤ朝末期に建てられたアルカサーバという砦だと言われ ており、そしてアルハンブラ宮殿が最も拡張されたのはグラナダを首都としたナスル朝の時代に入ってからである。ナスル朝とは、13世紀から15 世紀末まで存在していた、イベリア半島最後のイスラム王朝である。この王朝は14世紀に最盛期を迎えアルハンブラ宮殿に大規模な改修を行った。 しかし15世紀になると近隣のキリスト教国アラゴンからの攻撃で国内の重要な都市が陥落し、こちらもキリスト教国家であるカスティーリャ王国 に貢納金を納めながら王朝を維持しなくてはならなくなり、衰退の一途をたどった。最終的には1492年レコンキスタが完了し、グラナダは陥落、 ナスル朝は滅亡した。
 ムカルナスが多用されている獅子のパティオはムハンマド5世(1362‐1391、在位1354年 - 1359年)が造営した。ナスル朝宮殿の中にあるこの 中庭は外から見えない場所にある。宮殿に入った後いくつかの部屋や中庭を通り過ぎ、そして細い通路を抜けると突如日の光とともに開けた空間 にたどり着く。そこはムカルナスも含む細かい彫刻やカリグラフィー装飾に溢れており、中央にある噴水の水が涼しさを与えている。
 ムカルナスを実際に見るまで、私はその下に立つと吸い込まれるような感覚になるのではないかと思っていた。しかしその場に行ってみるとむ しろ上から降り注いでくるように思えて、事前に文献で読んでいた蒼穹や天国のイメージをより強く感じることが出来た。また獅子のパティオは 全体的にムカルナスを用いて装飾されているが、外側からはその様子をうかがい知れない。そのことから、ムカルナスには場の強調や卓越性の表 現という役割はほとんどなく、束の間の現世で美しさを享受したいというイスラム教徒の考え方を表現するために用いられていることも分かった 。現地で手に入れた文献にも、アルハンブラ宮殿は代々引き継ぐために作られた宮殿ではないという記載があった。アルハンブラ宮殿は永久に残 ることを考えて作られたわけではないのである。このことからも、他に対して王朝の優位性を表現するという目的よりも自分のための空間を作り 上げるためにムカルナスが選ばれたということが分かる。
 ムカルナスの次に印象的だったのは、至る所で目にしたカリグラフィーである。ムカルナスが頭上高くにあるのに対してカリグラフィーは私た ちの眼の高さの位置にあった。先行研究によるとコーランの引用は古い書体で、詩句は今の人でも読むことができる書体で書いてあるようだ。私 は残念ながらアラビア語を読むことが出来ないが、アラビア語を読むことが出来る人にとってはそこに刻まれた文字を併せて読むことでさらに空 間に込められた意味を感じることができるだろう。

アルハンブラ宮殿 ムカルナス アルハンブラ宮殿 カリグラフィー

5 イスラム庭園(アルカサル)
 イスラム教が誕生したアラビア半島は中緯度乾燥地域に属している。乾燥した土地が広がるこの地域では、日中に刺すような日差しが降り注ぐ。 室内空間に求められたものは、そういった日差しや乾燥した砂漠、外敵から身を守ってくれるような避難所としての役割である。イスラム教が誕 生する以前から、人々は土や泥の壁で家の周りを囲み、その中で家族や親族と“中庭”を持つ建築を築いていた。乾燥地域において緑や水は貴重 である。公的空間と私的空間を明確に分ける壁に囲われた内にある中庭は、その貴重な緑や水を享受できる庭園として発展した。イスラムの庭園 はしばしば楽園の表象であると言われ、見る人に『コーラン』で描かれた天国としての楽園を想起させる。他の宗教でも象徴として用いられてい る庭園であるが、イスラム圏の庭園はペルシャ文明を引き継いだものである。宗教は変化したとしても中東の厳しい気候と、水や緑、それによっ てできる日陰の必要性は変わらなかった。『コーラン』に描かれた庭園のイメージにも、この自然環境が大きく影響している。
 今回足を運んだ“アルカサル”を建設したのはキリスト教徒のアルフォンソ11世であるが、ここにはレコンキスタ以前にコルドバを支配してい たイスラム教徒たちの影響が色濃く残っている。元々アルカサルは西ゴート族の要塞であった。しかしウマイヤ朝の攻撃で西ゴート族が滅びると コルドバを支配したイスラム教徒たちはそこを宮殿として利用していた。そしてレコンキスタが完了した後、14世紀末から現在も残るアルカサル が建設されたのである。
 私がアルカサルを訪れたのは午後3時ごろだった。その時間帯、庭園だけではなく街中にも人がほとんどいなかった。というのも、コルドバは “アンダルシアのフライパン”と呼ばれるほど夏の日差しが強烈な土地なのである。確かに行動するには辛い時間帯ではあったが、かえって庭園 における水の重要性を感じることができた。庭の中心には両端に噴水を持つ長方形の池がある。目で水を感じるだけではなく、噴水によって生ま れる水の音が涼しさを演出する要素の1つになっていた。またこれ以外にも庭園内の至る所に噴水や池があり、地面にはすべての花壇と水路をつ なぐ溝が走っていた。
 大きく開けた庭園よりも奥に入っていくと、より個人的な雰囲気が漂う中庭があった。ここにももちろん水場があり、また庭を漢字の田の字の ように四分割する“チャハルバーグ”型の中庭だった。中庭の周りには回廊があり、アラブ浴場などにつながっている。また先ほどの庭園も壁に 囲まれているのだが、外から様子がうかがえる場所もあったのに対して、この中庭は高い壁で囲われているため庭の入口をくぐらなければ中にど のような空間が広がっているのか知ることはできない。
 今回の研究旅行では様々な庭園や中庭を見る機会があったが、どこにも共通しているのは幾何学性と水の存在である。礼拝前に体を清めるとい う実用的な理由もあるのだろうが、水が場に与える影響はそれ以上に大きいものであることを実体験として理解することができた。
 

アルカサル チャハルバーグ

6 まとめ
 今回の研究旅行では、実際にたくさんのムカルナスがある空間に触れることができた。今までは文字と写真を通して幻想的な空間とはどのようなものな のか推測していたが、百聞は一見に如かずとはこういうことか、と感じた。特にアルハンブラ宮殿の獅子のパティオでは、溢れんばかりのムカルナスに囲 まれて、正直なところ目が回ってしまいそうな感覚があった。日本の縁側のように穏やかでのんびりとした時が流れるような雰囲気ではなかったが、イス ラム建築の特徴の一つである幻想的かつ現実逃避的な要素というのは強く感じることができた。
 また聖俗の比較について、宗教建築であるメスキータは権力者が建設を命じたとしてもその建物を使うのは民衆である。一方アルハンブラ宮殿は限られた 人しか出入りできず、外から様子をうかがうこともできない。この違いから、メスキータの装飾は公に対するもの(権力の強調)であり、アルハンブラ宮殿 の装飾は私的なものであることが分かる。日本人からしてみればメスキータで見たアーチネットも十分幻想的な装飾ではあるが、獅子のパティオと比べると やはり後者のほうが、その空間全体が幻想的・現実逃避的要素で満ちているように感じた。アルハンブラ宮殿のカリグラフィーで描かれた詩の内容や、『コ ーラン』における楽園の描写に関する先行研究を参考にしながら、ムカルナスに込められた意味を考察し卒業論文に取り組んでいこうと思う。
 最後に、今回のような貴重な機会を与えてくださったコーディネーターの朝立先生と西山先生をはじめとする国際文化学部の先生方にはこの場を借りて心 から感謝の意を伝えたい。ありがとうございました。

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