1921 (大正10 )年に建設された赤レンガ館が、2006(平成18)年5月に大学博物館(ドージャー記念館)として生まれ変わりました。【入場無料】
 聖書には100種類を越える植物が登場しますが、その中から約60種類を本学キャンパスに集めたものが「西南学院大学聖書植物園」です。

歴史
    西南学院創立者 C.K.ドージャー
 1879(明治12)年、アメリカのジョージア州ラ・グレィンジュの町に生まれる。13歳の時にその生涯をキリストに献げることを決心した。
  その後、マーサー大学、南部バプテスト神学校を卒業し、1906(明治39)年6月にM.A.バークと結婚。同年9月に南部バプテストの宣教師として、新婦を伴って来日した。
 10年後の1916(大正5)年4月、多くの困難を乗り越えて「私立西南学院」を設立。第2代院長として西南学院の育成に心血を注いだが、1933(昭和8)年、54歳でこの世を去った。ドージャーが臨終に際して言い遺した「Seinan, Be True To Christ. ”西南よ、キリストに忠実なれ”」という言葉は、建学の精神として受け継がれ、西南学院の精神的基盤となっています。

学院創立

 西南学院は1916(大正5)年4月、アメリカの南部バプテスト派宣教師C.K.ドージャーによって、福岡市大名町(現在の読売新聞西部本社付近)に創立されました。
 当初は、「私立西南学院」といい、教職員9人、生徒104人の小規模な男子中等学校でした。
  校地が現在の西新に移転したのは、1918(大正7)年1月。それから3年後の1921(大正10)年4月、旧制専門学校令により「高等学部」が文科・商科をもって開設され、この時点で現在の大学の素地ができました。


学院創立

 創立者ドージャーの一貫した教育理念は、「キリストに基づく人格教育」でした。
 しかし、彼の厳格なまでの教育方針は、キリスト教の伝統と社会的習慣を持たない日本の社会において種々の摩擦を引き起こすことになります。
 特に、日曜日を「安息日(主の日)」としていっさいのスポーツ対外試合を禁じたドージャーに高等学部の学生たちが抵抗した「日曜日問題」は教職員・学生を巻き込んだ一大事件へと発展し、1929(昭和4)年7月、当時院長職にあったドージャーはついに心血を注いで育てた西南学院を去ることになりました。


学院創立

 日曜日問題が原因で院長職を辞したドージャーは、福岡を離れ小倉の地で伝道に従事していましたが、1933(昭和8)年、心臓病のため54歳で天に召されました。
 彼は西南を去った後も絶えず西南のことをわが子のように想い案じ、臨終に際し夫人にこう言い遺しました。
 「余が夢寐(むび)の間も忘れ能わざる西南学院に、くれぐれもキリストに忠実なれと伝えよ(Tell Seinan to be true to Christ.)」。この熱きメッセージは、創立者の精神を思い起こさせるものとして、いつの時代にあっても学院のバックボーンとなっています。


学院創立

 ドージャーの死後、国情は急速に戦時体制へと向かっていきました。
 当時、学院は着々と大学設立の準備を進めていましたが(西南学院バプテスト大学構想)、国情悪化のため計画の中断を余儀なくされました。
 その後、日米関係が悪化するに伴ってキリスト教主義学校に対する風当たりが強くなり、本学においても他校との合併は免れたものの高等学部は経済専門学校に改称、開設以来伝統のある英文科は閉鎖のやむなきに至ったのです。さらに、学院の発展に貢献した多数のアメリカ人宣教師たちも次々と日本を離れることになり、この時代は学院にとってまさに苦難の時代でした。
 しかしながら、学院はキリスト教に立つ建学の精神を失うことなく守り続けました。


学院創立

  戦時中の苦難を乗り越えて学院は活気を取り戻し、終戦後直ちに大学設置に着手しました。
 1949(昭和24)年、関係者の熱意が実り、新制大学として西南学院大学が開設されました。当初は米国のリベラルアーツ・カレッジの形式をとる予定でしたが、学部のない大学は認めないという国の指導もあり、学芸学部としてスタートしました。
 その後の発展はめざましく、文学部・商学部・経済学部・神学部・法学部・人間科学部、国際文科部さらに大学院と次々と陣容を整えてきました。また、2004(平成16)年4月には大学院に神学研究科、人間科学研究科を開設しました。 現在では、7学部12学科と大学院8研究科を擁する文科系総合大学として、さらに語学教育に優れ、国際交流を積極的に推進する国際色豊かな大学として高い評価を得、名実ともに西日本を代表する私学に発展しました。


学院創立

  西南学院大学は、福岡市のウォーターフロント計画の中心である「シーサイドももち」に隣接した大変恵まれた環境にあり、学術文化、教育研究の分野における情報の集積・発信機能を担う大学として、地域社会および国際社会に貢献していきたいと考えています。
 西南学院大学は、西日本における私学の雄として、キリスト教主義教育に立つ大学としての教育理念を堅持しながら、21世紀という新時代を歩み始めました。

                         (注)大学の歴史を中心に記載しています。



1916(大正5)年
設立のころの西南学院(現平和台付近)
1920(大正9)年
西南学院本館(現大学博物館)定礎式
1921(大正10)年
西南学院本館(現大学博物館)竣工
1927(昭和2)年
ドージャーと野球部員たち
1935(昭和10)年
軍事教練の秋季演習に向かう学生たち
1937(昭和12)年
ヘレン・ケラー女史来学(前列中央)
1949(昭和24)年
W.M.ギャロットが初代学長に就任
1954(昭和29)年
ランキン・チャペル竣工
1960(昭和35)年
1946年から続く「つるべ渡し」の行事
1969(昭和44)年
当時、西日本最大規模と言われた体育館
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