Seinan, Be True to Christ
「グローバル」という言葉がすっかり定着した今、国際社会と法律のあり方について様々な議論がされています。そのひとつである「グローバル・ジャスティス論」は、「どのような国際社会が望ましいか、グローバルな視点で『正義』とは何か」を考える学問です。今回、このグローバル・ジャスティス論について、日本でも世界でも課題となっている「貧困」をテーマにみなさんと一緒に考えてみたいと思います。
まず、日本の貧困問題ですが、現在、日本では6人に1人の子どもが貧困状態にあり、先進国で最悪の貧困率といわれています。他方、世界に目を向けてみると、日本よりもはるかに大きな貧困問題が存在し、途上国では8億人以上が慢性的な栄養失調にあるといわれています。
こうした日本と世界の貧困状況を踏まえ、みなさんに質問です。もしも、あなたが一万円を募金する場合、日本の貧困の子どもを救う方に募金をしますか?それとも、もっと貧困に苦しむ途上国を救う方に募金しますか?「同じ日本の子どもを救いたい」と考える人もいれば、「世界で一番苦しんでいる人を救いたい」と考える人もいるでしょう。そのどちらも正しく、それぞれに「正義」が存在します。では、日本の税金を使う場合はどうでしょう?「日本の税金だから、日本の子どもの支援に使うべき」という意見もあれば、「世界の貧困を救うには、日本のような先進国は途上国で貧困に苦しむ人たちに援助すべきだ」という意見もあるかと思います。つまり、「正義は国境を越えるのか」、これを考えることがグローバル・ジャスティス論なのです。
地球温暖化問題を例にあげると、「CO 2の削減義務を世界共通のルールにしましょう」と先進国が意見したのに対し、「地球を汚してきたのは先進国だから、CO2の削減義務も先進国が負うべきだ」と途上国が反対したことがありました。
こうした正義の観念や価値観の違いによる問題やトラブルは、私たちの社会でもしばしば起こり、その中で何かしらの解決策を導き出さなければならないことがあります。この時、大切なのがまず違いがあることを知り、なぜそのような違いが生じるのかを考えることです。その背景を探ることは、解決策や妥協点を見いだすきっかけとなります。グローバル・ジャスティス論のように正解のない問いについて考え、自分の中で納得のいく答えを見つけ出してみる。この力は法律について考えるための土壌をつくってくれるでしょう。
法学部 国際関係法学科
小寺 智史 准教授
法学部に限らず、大学での学びは視野を広げる良いきっかけになります。単に解決法を学ぶのではなく、他の考え方はないのか」と自分で課題を立て、自分なりの答えを導き出すことが将来役立つ力になるはずです。