2014年6月18日

*番組鑑賞後15分ほどで執筆。特に平木から補足説明はしていない。
*匿名もしくはペンネームで提出と指示。
*誤字脱字、用字、番組登場人物名など平木が適宜判断し修正。


匿名希望
今回この"一万人の配置転換"というVTRを見て、社会の残酷さを再確認しました。企業の為に、企業の為にとその人生の歳月をかけてきた人に対して出向という仕打ちはあまりにも残酷ではなかろうか、と私は感じました。出向された人は平均52歳、すべて中高年で編成されており仕事内容は製品仕分け、その運搬である。本社勤務の時の仕事とは180度違う内容でその変化に戸惑い落ち込んでいる者、また退社する者もみられた。具体的な実績を求められる、完全な年功制撤廃した成果主義という考え方は時代の変化に対応した良い考えだと思うが、社員の年齢等も考慮の内に入れるべきだと私は考える。

結論を言うとあれでもNECは“優しい”会社だと私は思っている。君の議論のおもしろさは、後半の成果主義においても他の要素(年齢)も加味すべきではないかというもの。これは実務でも受け入れられている感覚として間違ってない。


N.A
 この授業で企業の事業転換に伴う配置転換についてなどを学んできたが、今回初めてNECの事例を知り、それは容易に行えることではないということを知った。時代はインターネットに支配されており、企業はその並みに乗らないことには存続できないと言っても過言ではない。そこで「インターネット・ビジネス」を発展させ企業を成長させ、「モノづくりに重点を置いた従来型の経営からの脱却」を図るには膨大な量の人事異動や出向が必要となるのである。それがその人物にとって、自分の才能や力をより発展させることができるようになるようなものなら、会社にとってもその人物にとってもこの上ない収穫であろう。しかし、大半は望まない部署への出向であったり、いざ出向してみるとそれまでの仕事とのギャップやなれない環境に心身共に落ち込んでしまう。つまり言い方は良くないが、事業転換の成功は多くの人々の犠牲の上に成り立っているのだということを改めて考えさせられた。それでも会社のため、企業の発展の為なら仕方のないことだ、と割り切って考えるしかない。それがNECの求める「人々の意識改革」なのだろう。
 人々の生活をより豊かにする技術の発展の裏にはその利益を被って良いはずの人々の苦労が積み上げられているという現実は残酷だが避けては通れない道なのだろう。

配転で移った人にとって望ましくない措置であるなら会社にとっても望ましい措置だったのかということも考えて欲しいな。


384
今日、インターネットの発達による恩恵は多数ある。自宅にいながらにして予約ができたり、ネットバンキングを使えば振込もできる。この数々のインターネット出現による恩恵の裏には従来あった事業の喪失があるのだとこのビデオを観て感じた。NECではインターネット事業に転換することによって数多くの社員を出向させた。出向の主な者は中高年とのことだ。私は本社のデスクワークをしていた者が突然出向を命じられ、体力仕事をするのは"かわいそう"だと思った。しかしこれもインターネットの恩恵を受けるには"しょうがない"ことなのだろうか。これから機械化、インターネット化、グローバル化などが進み、従来の事業はどんどん減っていくだろう。それにどのように対応するかが重要だと考える。

「インターネットの恩恵」を活かそうとする目的を設定した場合に、どう考えても吹きさらしの倉庫に中高年男性を送りこんで定型作業をさせることが論理的には結びつかないのが普通の感覚ではないかと思うがいかがじゃろうか?


あいう
NECのDVDを見て、本社7年目にもなり、デスクワーク勤務が33年目の人も出向させられるという現実に驚きました。さらに出向先も体力と活力がともなわれるパソコンの仕分けのバイタルスタッフです。中高年の人たちがこのように異動となっていて、安心して仕事ができないなと思いました。また、社内(人材)公募制によって、即戦力が求められ、柔軟に対応することが必要になることが改めてよくわかりました。インターネットビジネスはこれから先も上昇していくことでしょう。


・正確には、入社33年、本社=デスクワーク7年、ね。デスクワークの人がああいった作業に変わるのはちょっとしたショックである。しかし会社の中の序列意識ではあれもあるのかなと最近考え始めた。ポイントは学歴である。
・社内公募制の扱いがどうなってるか私は前の授業で言ったよ〜。



会社のインターネット革新ということで、大きな配置転換があり、当初の1万人という社員がバイタルスタッフに出向されることになり、今までの仕事から一変し、心身ともに疲れ果ててしまっているのは、見てて世間は厳しいなと痛感しました。大きな変化にはそれだけ多くの人々が必要となり、その多くの人々を動かすのもすごく大変なことなんだなとわかりました。また、NECが成果主義を取り入れたことで、これまでとは違い"自分はこの会社に必要なんだ"と認めてもらう緊迫感も必要だと言ってましたが、確かに年功序列制だとそのような雰囲気は出せないなと思いました。

“会社に必要とされる緊張感”か、幹部の発言だよね。私はあしかけ14年ほどあれ見てるが、その言葉あまり気にしてなかったな。それは雇用というか契約一般において軸となることかなとも思う。


xxxxxxアゾトバクター
・バイタルスタッフへ出向になったSさんとOさんへ。78歳の母を支え家のローンを払い続ける立派な大人、尊敬します。おだやかな話口調の奥から出た「自分に負けたくない。頑張る。という台詞に感動しました。「あおいくま(BLUE BEARS)」というスローガン、素晴らしいです。「出向を命ぜられそれを受け止めるか、逃げ出すかで人間性が問われる。」熱い気持ちを感じました。
・M人事部長「個人の時代、出るクイになれ、輝く個人になれ、と部下に言っている。」社長「長期雇用のビジョンは大切だが、同僚の緊迫関係の維持が必要。」
大競争時代。目標達成できたかどうかで入社後10年で年収1.5倍の差。既成の価値にとらわれないアイデア、発想を創造する力。殺伐感を感じる。自然と共生する道を探そう。

実名書くなと伝えたら在学番号書いてきた。これは一本取られたw
・ああいう簡単な言葉は語る人の人となりがあって初めて説得力をもつものだということは年を取るごとに実感する。
・一番最後はよくわからんが。NECはあの番組の後も苦難が続くのであった。


T【候補】
突然の人事異動は予測ができないので命じられる側にとってはとてもリスクが大きい。不安要素がとても大きいものだと思った。特に今回ビデオで見たように、今まで製造を担当していたのに、いきなり体力を使う、肉体労働に変わってしまうととても大変だと感じた。また、インターネット・ビジネスをはじめるにあたって、募る人材はインターネットに精通している人だけだと思い込んでいたが、そうではなく、新しい分野に対応できるようなアイデア、発想豊かな人が求められることに驚いた。配置転換では、今までと同じ作業(仕事)をするために他県に行くか、今までとは全く別の作業をするが、同じ場所で勤務という両極端な選択を迫れることでとても厳しいと思った。成果主義において、具体的な実績によって賃金が決まるのは、仕事をする上でのやる気につながると思うのでとてもよいことだと思った。今回の事業をインターネットに結実することに対する募る人員が1万人という大規模なものだったが、それを集めることができるだけの会社なのだということはすごいと思った。

君のコメントで気付いたが、君が取り上げた事例は“突然の仕事の変化への対応”という共通項があるし、それは番組のメッセージだったのだろう。


ひがし
物事をかえる時に、必ず前と同じようにはならない。言葉はひどいかもしれないが犠牲がうまれる。配置転換による出向は中高年社員が多く、デスクワークから体を使う仕事にまわされている。慣れないことをその年齢で行うのは負担が多いと思う不満をもつ人ばかりだと思う。しかし、企業として生き抜くためには必要な移動であり、また新卒の採用もグローバルに対応していくために必要な技術、個性を雇う。このように無駄をはぶいていく時代なのだと思った。年功じょれつ制がなくなり、成果主義になり、個人の能力、個性がはっきりでてくる時代になった。「ただ働く」が出来る時代じゃなくなってきたので、自分の色をもって働くことが大切なのだと思った。

Sさん達を倉庫で定型作業に就けることが「企業として生き抜くためには必要」なことなのかどうか?よおく、考えてくれ。悪いが「自分の色」はいずれの事例でも否定されているぞ。


な【候補】
NECが実施した配置転換において、NECは社外ではなく社内から人材を募集するという社内公募制をとった。社内公募制は会社の各部署ごとにどこに行きたいかなどの希望、それに関しての質問をもとに選考され、そして面接を行ったうえで結果が出る。古谷さんは前部署においてもエース的な位置であり、面接後には新たに参入するコンビニエンスストア事業において大いに必要な人材であり、即戦力として使えるとほめているシーンがあった。こうした社内公募制は社外から優れた人を募集するのではなく社内においてこの政策を行う上でどういった人間が良いのかという適合者を探し出すというものだとわかった。

なるほどね、社外からではなく社内からというのはなんらかの合理性があるのかもしれない。そのあたり説明しておけばよかったな。サンクス。


西南ちゃん
大企業のNECが新しいことに挑戦するために1万人の配置転換をする。NECの社員はチャンスを与えられたのだと思う。古谷さんは即戦力として会社から認められ新事業の人材に抜擢された。また、Oさんたちは今までの仕事内容が180度変わったときに、逃げずに向き合い頑張れるか、焦らず負けない心をキーワードに新しい仕事に取り組む姿勢がすごいと思った。

まあそうなんだが。



インターネット関連にシフトする配置転換が行われることで、社員の仕事内容が大きく変わってしまうことがわかった。元々は販売事業の主任を務めていたSさんも配置転換によりNECのバイタルスタッフに異動し、今までとは全く違った力仕事が必要とされる仕事に変わり、とてもつらそうだった。バイタルスタッフとは"活力がある人"という意味だと言っていたが、バイタルスタッフに配置転換された人たちの平均年齢は50代と若くはなく、出向の対象が中高年社員であることに驚いた。体力が必要とされる仕事であるため、もう少し若い人達を選んでもよかったのではないかと思った。

経営合理性という観点でもあの番組を見てほしいよね。君のいう通りで、なんであのような仕事に中高年をつけるのだろう、と不思議に思う感性を大事にしてほしい。


時代の流れに伴って会社の仕事内容や賃金制度、人事など変更することは重要なことだと改めて思った。しかし、平均年齢50歳以上の中高年300人をNECバイタルスタッフとして出向したことは組織のスリム化をする上ではいいのかもしれないが、体力のいる仕事がはかどらずかえって悪いのではないのかと考えた。また、成果主義を採用することで、仕事の成果に応じた賃金が支払われるのはいいことだと思った。

先のコメント同様、あのバイタルスタッフへの異動はSさん達の処遇という観点だけでなく作業効率悪いんじゃないか、という観点でも考えないといけないのではということだよな。まったくその通りだ。しかしああいうことをやることに日本の雇用を理解する1つのカギがある。


法学部
バブル崩壊後の日本企業で働いていた社員の状況をこのビデオにより初めて知ることができました。経営再建のために当企業の方針として"1万人の配置転換"が行われた訳ですが、人事担当者のM部長曰く、重要なことは"周りの環境の変化に対応しなければならないこと"だというのが最も心に響きました。また、インターネット・ビジネス導入に関して、新たな事業展開と共に人材公募が行われ、期待値の高い若者社員が集結し、活躍していく一方で、これまでビジネスを支えてきた中高年社員はデスクワークから一転、体力仕事の事業へと出向される傾向が目立っていました。入社して20年程が経ち、肩書きがもらえていた日々が急になくなったことを受け、当時の日本社会の企業は今にも劣らず緊張感があると思いました。

あの後も、NECは厳しい経営環境の中でリストラを行う日々が続くのだった。緊張感は緊張感。しかしそれでも私はNECは“優しい会社”だったと今でも思ってる。


アップルポテト
社会の変化によって、インターネットビジネスへ事業を開拓していくことは、会社にとって正しい選択だと思いますが、異動を要求される社員にとってはかなり負担があると思いました。人材公募制によって、自ら立候補した古谷さんはまだ若く、会社の最先端で仕事をしたいという前向きな異動でしたが、それでも今までの大企業から、ゲームセンターに出向き、若者の流行に対応していかなければならないのは大変だと思いました。さらに、Oさん、Sさんのように、組織のスリム化をはかった出向は本当に辛いものだと思いました。業務や勤務地が変わるだけでなく、平均年齢50歳という中高年で家のローンや家庭をもっている人が多いというのに、給料も減るというのは本人だけでなく、家族も苦労すると思います。また、成果主義を採用するという方針は会社にとっては楽なことですが、個人の能力によって給料が変わるため、社員は毎日仕事に追われ、良い人間関係、仕事をする環境が生まれるのか疑問に思いました。

大変だ大変だというのが番組の基調なんだが。実際問題としてあれを見て「大変だ」という感想を持ったサラリーマンはどれくらいいたのかな。


経営側の意見と労働者側の意見をどのように両者とも納得する形で言い合うのか。

納得はしないでしょう。ありえない。


このビデオを見て、改めてインターネット社会が果たして良いものなのだろうかという疑問を持った。インターネット社会化が進んで、たしかに何でも便利になっていき、仕事も効率的に行えるようになったが、それにより雇用者を解雇するということもありえる。私の知っているベンチャー企業でBsidesという企業がある。ここの社員はたった一人である。社長が開発も販売も配送も全て一人で行っている。しかし、一人でいて問題はないと言う。それを可能にしたのはインターネットだと思う。インターネットを活用して、設計図を取り入れたり、簡単に安価で部品を購入したり、また販売できたりする。しかし、こういった便利な面の一方、「一人で事足りる」状況が増え、それまで必要とされていた人たちは必要とされなくなることも増えたと思う。

技術革新が雇用を奪うは古くて新しい問題だ。君が挙げた事例はその典型だ。しかし派生需要という概念もある。「一人で事足りる」人が増えればその人達が消費や投資を行うことで別の人の仕事が生まれるわけでね。私はそのあたり楽観的です。


現場の社員の話からすれば、配置転換=現場の声を無視するもの、という印象が強く残った。年齢と仕事内容があっていない、話が急すぎるなどの声は、上層部に対しての立派なクレームだろう。そもそも、はじめから把握できたであろう「力仕事」の現場に50代の社員ばかり集めた点も疑問に残る。おそらく、経験や勤続年数、人数だけで人材を判断した欠点がここで結果として返ってきたのかなと思った。また、成果主義の点で、主要事業であるから明確な成果と目標が必要、という説明に納得がいかなかった。事業レベルが高かろうが低かろうが、常に問題意識を持って仕事に向き合うことが大切であり"制度"の前に全体の"意識改革"を起こさなければ組織に変化は生まれないと思う。

倉庫の作業と成果主義に関する君の疑問は正しい。返す刀でなぜ君がおかしいと思うことがまかり通っているか、そこを考えるのが社会科学なのだな。


ぽっぽ
同じ配置転換であっても、公募の場合と出向の場合では大きく異なっているということが分かりました。公募制では若手中心で、自分がその部署で働きたいと思った人が異動になる一方で、出向では中高年中心で命ぜられて異動になっているところが大きな違いであると思いました。この違いから公募制の場合は新しい仕事になれるのに大変だという印象が大きかったです。その仕事にあった年齢や人材はそれぞれ違うと思うし、時代の流れについていくために同じ人が同じ仕事を続けるのではなく様々な異動という形で業態も変えていかないといけないと感じました。年功序列から成果主義に変えていくことは仕事に対する意識が向上し、効率も上がると思うのでいいことだと思います。

人材公募制度と倉庫への出向は実に対比的で、制作者も番組のハイライトとして力が入っていただろう。私は教材としてあの番組に向き合ってきたが普通にドキュメンタリーとしても優れた作品だと思う。だけど作為はほとんどなかったはず。それだけ実態はドラマチックだったともいえる。


聖徳太子
私は今回のビデオを見て、一番印象に残ったのはNECバイタルスタッフとなったOさん、Sさんの話でした。はじめに名前を聞いた時点ではそんな変わらない仕事だろうと思ったけど、Sさんが実際に荷物をつみ上げて固定してるところを見て、50代の人たちがこんな足腰を使う仕事をはじめてるんだ…とびっくりしました。Oさんに相談している所や、ミーティング?の場面ではグチがこぼれていて、そう思うのも仕方ないと思うし、そういう気持ちをOさんはどうやって変えていくんだろうと考えさせられました。Oさん自身もやったことのない仕事で戸惑っていて、グチもこぼしたいし、涙もでそうだったけど、あおいくまというスローガンをかかげて、バイタルスタッフの皆でがんばろうとする姿がとても心に残りました。これからNECは成果主義となり、もっともっと一生懸命働かないとお金がもらえないし…となると確かに成果がでたらいいかもしれないけど一生懸命しても新しい事業などはそう簡単には成果がでないだろうからまたそこが課題になってくるのではないでしょうか。目に見える成果も大切だけど、もっと社員を思いやってほしいと思いました。

上からの指示で納得いかない仕事を部下に伝える一方で部下からの苦情を受けとめる。どうせ聞いてもらえないだろうなと思いながらも思いを上に伝える−実に正しい日本の中間管理職の姿である。


JUN
NEC本社からNECバイタルスタッフに出向になった50代の人々は荷物の梱包などの仕事をしていたが、その程度の仕事であればアルバイトを雇うほうが安く、若い分効率が良いと思うのだが、わざわざ使えない老人を派遣するのはNECなりの彼らに対する優しさなのかなと思った。効率化を目指すというNECもいきなり変えるよりは段階的に変えていこうとしていたということなのだろう。NECバイタルスタッフとして出向先でリーダーをやらされているOさんは大変だなと思った。同じく出向させられた人々の愚痴や不満を聞いて彼らをまとめるという仕事だが、Oさんも不満があるだろうになと思った。あの年齢で仕事もらえるだけマシなんじゃないかな。

君の評価の通りだと思うよ。Sさん達を倉庫に配置させるのが作業効率の観点でいいとは私も思えない。それでもああする会社の意図はなんであるかを考えよう。そこがわからないと、社会に出ても一番最後のような事を口にして爪弾き者になってしまう。


I・H
NECの事業転換のビデオを見て今までの事業から一転、インターネット産業へ転換したことは会社にとっても社員にとってもリスキーなものだと思った。実際今まで培ってきた技術により新しい技術が評価されるようになり、さらに近年の成果主義の流れに沿り結果を求められる。それはとても厳しいことだと思った。会社の事業転換により増える仕事もある。各々の社員が出向という形で各地に飛んだり部門が変更になったりと社員の対応能力も求められていたのではないだろうか。

会社の配置異動は必ず、「対応能力」が前提になっている。そのことは授業でももっと強調すべきだった。そう考えた場合、あの倉庫の仕事で「対応能力」は求められたのかどうか


事業転換のために社員を出向させるのは仕方がないとはいえ、やはりさせられた本人はつらい。自分の意志にそわない業務にまわされているのを見て、働く意味があるのかと思った。社員のモチベーション的に見て。新しい事業をしないと会社が生き残れない社会になってきているのも現実であるから、会社側も社員側も受け入れるしかないのかなと、今回のビデオを見て思った。

「新しい事業」という観点が入った場合に、あの倉庫の仕事の配置体制がどこかおかしいと思わないかな?


ぱち
若者やこれからの伸びしろのある人間、向いている人間や意欲・突出した才能(発想の斬新さや技術的なことでも)がある人間にとっては、非常に良い方向に期待ができる配置転換の意向であるが、今まで年功序列や"大企業に入って安定した収入を得る"ことを目的にしていた(かもしれないです。そういう中途半端な気持ちな人ばかりではないはずなので)人たちにとっては、大きな打撃となるし、なんとも言い難い。意欲のある人間、使える人間は、その人がちゃんと必要とされる部署で働くことができているが、能力、人材として不必要である人間が誰でもできるような梱包、掃除等の作業をする部署に配属されるのを見て、残酷であるが、妥当だとは思った。雇用されている側は、今まで上の方の位の職でずっとやってきたのに定年を目前につきおとされてまさに追い込みをかけられた状況であるし、会社をうらんでも仕方がないと思うが、雇用する側としては、効率よく事業を行うためには最善のやり方だと思える。私は出る杭でいたい人間なので、必要とされたいし、誰でもできる仕事を任されるような人間にならないようにがんばりたいと思ったし、もし私が人事についたとしてもこのような配属にするだろうと思った。

使われる人間であろう、という意志はいいね。問題は、あそこで意に沿わない配置をされた人が「不必要」な人間だったのかどうかである。基準はただ1つ年齢である。そして君が考える「必要」と会社が考える「必要」が一致する保証はない。


西南のラブライバー
NECのスマート化を図るためとはいえ、高年齢層ばかりの出向は露骨だな、と感じた。しかし、成果主義の視点から見ると、高年齢層が様々な新しい発想でNECを変えることは考えにくい。(個人的に高年齢層は発想が完成系?に近く、こり固まっていると思うため。)よって、高年齢層が出向を命じられたのは仕方ないと思うし、NECに居続けても、若い人と差をつけられるだけだろうと思った。

実現したものはすべて合理的であるという哲学は否定しないがそれは現時点(番組制作時)でのことでしかない。明日にはどうなってるかわからない。祇園精舎の鐘の音〜♪。


今日のビデオを見て、出向が命じられると本社での仕事よりもSさんのように雑用みたいなことばかりをやらされるのだなと思いました。本社では古谷さんのようにコンビニエンスストアの情報端末機器の開発など、新しいビジネスの開拓の仕事をするのが当たり前なのに、出向先ではSさんのように雑用みたいな仕事ばかりやらされているのをビデオで見て、本社での仕事と出向先での仕事は明らかにやることが違うのだということに驚きました。

あのような仕事の格差はどこでもあるしもっと大きな格差が社会的に存在する。しかしそのことは今回の番組ほどには驚きはない。同じ会社の中で格差があることが驚きか?まだ違うな。格差の大きな仕事の間を同じ人間が移動したことである。


匿名
・NECの事業でのコンビニにインターネットを設置する企画や工程を見て、今、普通にコンビニのタッチパネルでライブや舞台のチケット代を支払っているのだと思うととても便利な分、考案して開発するまでとても難しかっただろうなと思いました。
・NECバイタルスタッフの出向が平均50歳以上の中高年社員であり、体力を使うし、NECで働いている期間が長いのに何故だろうと思ったが、若い人の方がインターネットへのなじみも深いし、インターネット機器を使った新規ビジネスに対して得意だからなのかなと思いました。

・あのような商品開発・企画こそが競争力の源泉というか高い給料をもらう大きな理由の1つだね。
・50台の人達が「インターネット」に向いてたかどうかは知らないが倉庫の梱包作業に向いていたと思えないことだけは確かだな。


魚里
デスクワークから郊外の倉庫に出向させられて体力的にも精神的にもつらそうだった。(Sさん)みんなの意見を尊重しつつも、どうしようもできないOさんもつらかっただろうと思う。大きなシフトチェンジは企業をいい方向へ導くかもしれないが、もっと現場の声に耳を傾けないと続かないと思った。

取締役が現場視察に訪れた場面。現場の苦難を訴えるリーダーのOさんと他人ごとのような取締役氏の対照が印象的だったな。勝手な想像だがわかっててやってる感がよく伝わってきた。


今回、映像を見て前回から習ってきた"社内公募"や"出向"についてより理解が深まったし、また現実も知ることができ良かったと思いました。教科書では出向とは良い印象のものだと思っていましたが、実際は前の職務からのギャップなど、きついものがあるんだと思いました。もし自分が就職して人事異動で今までとはまったく違う職務に就いたとき、どうなるんだろうと自分と重ね合わせて見ていて自分にはまったく関係ないことではないんだと少し将来が不安になりました。

違う仕事といえば古谷さんのケースもそうである。Sさんのケースはデスクワークから倉庫の梱包作業なんだ。質的に違うものがある。


あおいくまさん
中高年の人の「なれない仕事で心身ともに疲れたり、自分の想像していない仕事をまかされて難しい」という発言を聞いてしまって、社会に対するロマンから現実に戻される厳しさを少しばかりか痛感してしまった。自分にあってない仕事を続ける人の本音や生きていくための糧を知りたくなったのは、私だけなのだろうか…(笑)。

Oさんが現場のネガティブな感傷を代弁していたのに対してSさんは静かな感じだった。番組であの人はプライベート含めクローズアップされていたが、大人目線では実によくあの人の思いは伝わってくるのだな


kiki
このビデオを見て、一番びっくりしたのが57歳でいきなり出向を命じられ、現場のリーダーとして働くことになったOさんです。あと3年で定年なのに新しい環境での仕事は精神的にも体力的にもかなり厳しい問題でした。しかし、NECに関わらず現在の企業は、出向の対象となるのは若い人が多いのかなと思いました。中高年を対象としても、親の介護などの事情で断ることもできず、仕事をやめるという判断をする人も昔よりも多いのではないかなと思いました。また社内公募制については、上司の許可がいらないのは良いことだと思うけど、周囲への迷惑がかからないということは絶対にないと思うので、社内の異動であってもこの制度は本当に良いものなのかなと少し引っかかった面もありました。

Oさん…無責任ないい方になるかもしれないがゴールが具体的な形で見えてるとまた一頑張りしようかという部分はあるのではないか。
若い人の出向…どの年齢層で出向(転籍)が多いのか授業で言ってなかったな(目的・理由は言ったのだが)。テーマとして面白いな。サンクス!


匿名
映像の中ではやはり一番出向の内容がショッキングだった。古谷さんの例を見ると、NECは様々な機会を与えてくれるステキな企業に見えたが、Sさんの出向の例を見て、すごく恐い企業にも思えてきた。映像の中で、Sさんが家で食事をしたりさみしそうに退勤するシーンがあり、同情しNECはひどい会社だと一瞬思わされたが、よく考えると能力のない者はそれ相応の仕事しか与えられないというのは当たり前だとも思った。自分を振り返ってみると、私は古谷さんよりSさんに近いのかもしれない。特にとびぬけた能力・実力もない。周りと同じ程度のことができれば大丈夫という考えは捨てなければ、将来痛い目にあってしまうかもしれない。また、SさんOさんのその後が気になる。

あのねえ、Sさん達は能力がないからではなくて、一定の年齢(勤続年数)に達したから一律に切られたの!


匿名
今回のビデオを見て1番印象に残ったのは、出向や配置転換でした。本人の意思で異動する人材公募制とはちがってある日突然他の工場や会社へ異動させられるというのは、今までとは違う環境で、今までと異なる仕事をすることになるので、とても不安で肉体的にも精神的にも負担の大きいことだなと思いました。ましてや、中高年層にとって出向は、今までのキャリアもなくなり、肩書も失い、給料の減額などもあるというのは本当に辛いし、残酷なことだと思いました。私は成果主義に賛成です。年齢とわずに自分の実力を認めてもらえるので、社員のやる気にも繋がり、さまざまな面白くて新しい発想もたくさん生まれるのではないかと思います。


・日本企業では配置・異動は本人意思じゃなくて会社の裁量だ、と授業でいったはずだぞお。社内公募制の方がレアケースだよ、と。
・「成果主義」は失敗だったというのがほぼ定説だよ。後期の報償管理論で触れましょう。


まっすー
約15年前のNECが実際に行った配置転換の実態を見て、それに伴う従業員への影響であったり、配置転換や出向をする背景が理解できた。事業の軸を大幅に変えるためにはNECのような大企業だと特に大規模な人事制度改革が必要で、それを実行するためには社員の理解が必要不可欠であると思った。また、社内公募制・出向において、今までしていた仕事の内容とは全く異なることをする部門への異動も多く、社員にとっては体力・精神面での負担が大きいため、会社側はそのサポートをして社員との関係を崩さないように努力する必要があると考える。成果主義にシフトしている事に関しては、若手にとっては順応しやすいと思うが、長年年功序列賃金性で慣れていた中高年にとってはどうなのだろうと疑問に思った。

・君の言う通り慣れない仕事への心身両面でのサポートは不可欠なことだがあの番組では取り扱われてない。実際はあったのかもしれないが、少なくともなかったかのように描かれているのは番組の1つのメッセージといえる。また昨今の方がそういった問題がより強調されるようになった。その意味で時代相を反映している。
・「成果主義」は若い労働者の支持・要望を反映する格好で取り入れられたケースを聞いたことがある。結果はというと…。



NECがインターネット関連事業に踏み切るために1万人以上の配置転換をされた中で最も印象に残ったのは中高年(40〜60)までの社員のバイタルスタッフへの出向の場面でした。新規事業に踏み切る際、どうしても会社は若い人材で長期的に行いたいという思いが強くそれが中高年の出向の形になったのかなと思います。どうしても配置転換、人が欲しいところに人が余っているところから人材を移すことが必要になります。社内(人材)公募制のような自ら志願して異動するという形であるならばまだ話は別ですが、このビデオでいうと栃木工場やバイタルスタッフの社員のような形になるとどうしても苦しいとしか思えなくなりました。成果主義は今現在主流となっている雇用のあり方ですが、ただ単に成果主義を推し進めるだけではなく、あらゆるフォローをしていくことが大事なのかなと思いました。

若い人材も「長期的に」は中高年だぞ。


アオイクマ
配置転換には大きく分けて二種類あり、1つは主に若い人をターゲットにした人材公募で最新のインターネットビジネスに関する成長が見込める事業だった。上司の承認なく、自ら配置転換を希望する形式になっていて、従来のあまり良い印象でない配置転換とは違い、新しい仕組みでいいと思いました。もう1つは高年齢の方をターゲットにした配置転換で業績があまりよくない部署の人を出向させていた。デスクワークから体力を使う仕事に変わり、将来が感じられないと思いました。この配置転換を今後さらに増やすといっていたので元の職場に復帰するのは難しく、遠まわしに会社に必要ないと宣告をしていると思いました。時代の変化にともなって衰退していく事業もあるのでこのように大規模な配置転換は仕方ないと思いました。

“遠回しに必要ないと言う”−一言もその言葉を発することないのだけどその言葉がひしひしと伝わるのがあの番組のポイントであるしおそらく日本企業の妙味といえる。



ここ数十年の間にインターネットが急速に発達してきた中で良いところに人事異動した人とあまり良くないところへ左遷された人々の違いを見て、古谷さんのような生き生きといた活力あふれる人は何事にも新しいことにチャレンジしていく姿勢が見えた気がする。一方、Sさんは時代の新しい波に上手に乗れなかった。50代ということなので新しいことを覚えるのは難しいと思われたのか、もしくは妻子がいらっしゃらなかったので左遷しやすいと思われたのだろう、と思った。企業にとっては時代の波に乗れるように大きな人事異動はやむをえないと思う。

実名書くな。人の指示を聞いてない人は、波に乗る乗らない以前に社会で渡っていけないよ。


ドクターK
ドラマ『半沢直樹』でも出向というwordを聞いた。このドラマの場合、社員自身の営業成績が悪い為出向となっていた点で自己責任と捉えられる。しかし、NECの場合、これまで本社勤めで戦力として働いていた社員を出向としている時点で不思議不満に思った。組織のスリム化のため異動はやり方に問題がある。1.デスクワークから急に体力仕事。2.50歳を超えた者を体力仕事へ異動。3.2年後、ボーナスも減る。出向はメンタル的にもダメージがあるのにも関わらず1.2.3の事も実行されたら…社員の目線に立って欲しい。

正直言って君の主張はナイーブすぎるのだけど、労働者の「目線」としては忘れてはいけないことだ。この当時はあまり意識されなかったことが今では重視されるようになこともあるし。しかしすごいペンネームだな、年いくつだよwww


・今ではコンビニに当たり前のように見やすく利用しやすいPC端末が導入されていますが、その背景には古谷さんのような人たちの努力があってこそのインターネット・ビジネスの発展だと改めてすごいと思いました。
・NECのデスクワーク部署で33年も懸命に働いていたSさんが急にバイタルスタッフへと出向になるところで初めて出向の恐ろしさがわかり、急な仕事の変化による精神的肉体的疲労はとてつもなく大きいのだと感じました。私は出向は仕方がないことだとはわかりますが、平均年齢50歳の人たちを肉体労働にするのはおかしいと思いました。また、成果主義に関しては、今の終身雇用制度のままでは日本の成長がないという点で取り入れていいと思いました。

・バイタルスタフから退職する人が少なからずいたことが淡々と語られていたが、一般的にはそれは問題になることなんだけどね。
・なぜ成果主義がよいか論理性がないな。そういう空気に流されるのはよろしくないぞ。


おにぎり
具体的な成果で賃金を決める成果主義は若い人にもチャンスがあり、年を重ねても目標のために頑張らないといけないので、会社的にも年功序列よりも良い制度だと思う。

もし成果主義でないと「頑張らない」のならそれまでの日本企業はなんだったのかという話になることに気付かないかな?


会社としても業績不振を解消するために新しい事業に挑戦することは必要であると思うし、そのためにはその仕事につく人材が必要なこともわかるが、人材公募制を行うリスクも少なからずあるというのはもう少し考えた方が良いと思った。上司の許可は不必要であっても、その意志があることを早めに伝えておくことで、もし異動となった際に前にいた部署の引き継ぎなども少しはスムーズにいくと思う。そして、出向については年齢、仕事内容を考えても少し無理やりな出向ではないかと思った。Sさんについては主任という肩書きもなくなり、今までよりも体力が必要となるところに異動させられ、後にはボーナスも減少。年齢的にも再就職は厳しく、異動したところの仕事も体力仕事、組織のスリム化の必要性は会社を維持していくために不可欠ではあるだろうが、見ていて少し複雑な気持ちになった。

・最近ではそういう意識が薄くなかったのかな、元々の日本企業は会社を辞めることは法律はなんであれ道義的に許されない世界だった。君が指摘したように業務遂行の妨げになるというのも理由の1つだろう。そのような価値観が収拾されないで、いきなり、辞めることを称揚するような姿勢を会社が示したこと、これは問題だったのではないかと今にして思う。ただそれを良しとする社会思潮があったことも確かなんだ。その意味でも時代を反映した番組である。


かえ
現代の流れにより、事業改革は必要である。新規事業にとりくめる人もいれば、中高年たちはきつい労働にさせられまた給料も下がる。広くみた場合仕方のないことであるが、狭い目で見たとき、ほかに解決策はなかったのかと思ってしまう。時代の流れは変わるものであるから、ずっと同じ状態を維持することは困難である。変化をするとき、一人一人が納得のいく職場で仕事ができる人事異動がりそうなのではないか、疑問に思った。

番組の初っぱなで言ってたでしょ、端的に言って仕事が減ってしまったんだよ。そして代わる仕事が「インターネットビジネス」しか思いつかなかった、と。


てごにゃん 【候補】
このビデオを見て、社内公募制は自分の意志で人事異動をすることができるが、NECバイタルスタッフのSさんの出向のように、突然別の職種につかされるのは厳しい現実だと思った。また、そのせいで身体を壊したり、精神的にもダメージが大きいことがわかった。NECの大規模な配置転換だからしょうがないけど、もっと社員のことを考えるべきだと思った。

日本企業では配転は日常的に行われるものなので、配転があったこと自体は異としない。しかし規模が大きかったゆえにフォローが不足していたということは言えるのかもしれないな。


NECがこれまでのメーカー企業から、インターネット事業にシフトするとき、これまで専門的な仕事をしていた人や、そこで活躍していた人が違う畑に異動(左遷)させられ、少し気の毒に感じた。自らの希望で異動した若手社員はこれからのNECの成長に期待しているように見えたが、バイタルスタッフになった中高年の社員たちはホワイイトカラーで本社勤務だったのがブルーカラーになったり、体力的にも精神的にも辛そうに見えた。この人たちはもう本社に戻ることできないだろうから、早く見切りをつけて仕事を辞めればいいのにと思ったが、家族を養っていくためには意に沿わない仕事もやっていくしかないのだろう。

“家族のために”云々、これはSさんだけでなく日本のサラリーマン(ウーマン)のほとんどに共通してるのではないか。


大きな方向転換が行われる際にはそれに伴って様々な面からの協力や苦労が必要であるが、このNECの大規模な転換により、今の便利さが生み出されているから、とても今につながる貢献をしたと思う。

あの番組の後もNECの苦難は続くのであった。


田中
今回のビデオで私はバイタルスタッフについて強く印象づけられた。各部署で主任などを任されていた中高年社員たちが突然肉体労働を強いられる倉庫へ出向となるのは残酷だと感じた。しかし、インターネット関連の事業にシフトチェンジするNECにとって、業績の伸び悩む部署の人事異動は仕方がないことである。

だからといって倉庫の梱包作業が最適解なのかと問いたい。


I・N
インターネットと企業の関連性。それによる影響など様々な内容を知ることができた。大企業を束ねる人の大変さ責任などを感じることができた。

わかってないだろう。


企業が収益を上げるため、赤字を回復させるために事業転換をすることは当たり前だと思うが、それまで会社を一緒に育ててきた中高年を出向にしてしまうのは少し悲しく感じてしまった。「NECバイタルスタッフ」というかっこ良い名前をつけてはいるが、実際はインターネットという新しいものを発展させていく力がない人を社外に追い出すためのものでしかない。組織のスリム化には必要なものであっても日本は終身雇用の会社が長い間、主であったため、まだ成果主義は何となく無理をしているように感じる。

自分の持つモノサシに照らして対象(日本の雇用の実態)を評価する姿勢はいいね。成果主義への違和感は現場に蔓延していたものでありそれはついに払拭できなかったといってよい。


インターネットが普及されて、企業がインターネット・ビジネスに参入することは企業の生き残りにとても関わる大事なことだと思った。そして社員のやる気を出すためにも、具体的な目標を決め、アドバイスをしていて大切だと思った。入社して10年感に仕事の差が出ていた場合の年収の差が1.6倍と聞いてこわく感じた。話し合いの場にも出ていた賃金制度では社員のやる気は仕事の面だけでなくて賃金はものすごく左右されるものだと思った。

何見てたんだよ。


匿名希望
インターネットが流通し、様々な会社が経営の変革を求められているが、それに伴う人事異動や配置転換は厳しいものがあると思った。いくら新しい事業部のための人材を探しているとはいえ、長年、違う部署でその専門の仕事をしてきた中高年の人たちをいきなり他の部署に異動させるのは非効率である。せっかく今までの経験や知識・ノウハウを持っているのだから、せめて今までの部署と関連のある部署に異動させた方が良い。成果主義の考えが進み、個人個人が緊張感を持って仕事をするのは良いことだと思うが、ひとりひとりの心情や今まで培ってきたノウハウを生かすような人事管理が同時に必要とされてくると感じる。

技能の類似性に着目した異動をするべきだというのは正論だし日本の人事異動の基本である。どんな事情があるにせよ、このセオリーと立ち向かうことのない「制度改革」は説得力をもたないよな。


今回のNECのビデオを見て、一番印象に残ったのは人事部主任の「社会が変われば企業が変わり、企業の変化には社員が対応しなければならない」と言っていたことです。14年前でさえその様に言われるのであれば、現在のITネットワーク社会の中ではなおさら企業、社員の柔軟性が重視されると考えました。50歳以上の中高年の出向についてもビデオで取り上げられましたが、効率化を図るためとはいえ、デスクワークから商品の発送という大きな仕事の変化は社員の不満を募らせていました。出向が悪いとは言いませんが、その様な人々のサポートをするシステムも確立していくことが今後のさらなる企業の発展につながるのではないかと思いました。

とにかくこの頃は“余剰人員のリストラ”が錦の御旗のように言われた時期でね。それだけ中高年、団塊の世代が多かったということでもあるが。で、14年たった日本はきれいに人手不足社会に突入したわけです。流行にながされちゃいけません。


CHAS
今までは企業におんぶにだっこの年功序列というシステムがこれからは個人が評価される成果主義の時代になってきているというのを感じたVTRでした。このような時代は自分が企業内で必要とされる局面に自らおいていき、企業を自分が"成果"にこだわって緊迫した関係を保っていく必要があるのだと思います。しかし、社会全体で考えたときにまだ年功序列の流れは残っており、極端な成果主義の導入は従業員にとってギャップや戸惑い、不安が出ると思います。NECはこのような点において配慮が足りなかったのではないでしょうか?このVTRは2000年のものなので、これから16年の歳月が経過しています。16年のあいだでも、時代は変化したと思うし、これからますます急速に変化すると思います。時代の変化に柔軟に対応できる企業でないと今後残っていけないと私は考えます。

時代の変化の前に算数ちゃんとやろうぜw あの時に打破しようとした年功序列が今でも残っていることの意味を考えよう。


【候補】NECの配置転換は企業側からみれば当然のこと、社員側からみれば非情なことであると思う。新部門設立や余剰人員のために異動も仕方ない面もあると思うが、平均年齢50歳の方々が突然倉庫勤務というのは、精神的にも肉体的にもきついと思う。NECは異動させる社員の年齢をもっと考慮すべきであったと思う。2ヶ月後に2人退職してしまったのも当然だと思った。どれだけすばらしい技術や製品を持っていても、それを製造したり販売したりするのは人間であり、その人間をぞんざいに扱う企業は長続きしないと思う。

よく考えたら社員に厳しくあたることと「ぞんざい」に扱うことは別だ。自由主義経済においてリストラは起こりえることでそのことは必ずしも道義的に非難されるべきではない。しかし、切るなら切るで人としての敬意は欠かしてはいけない。


大きな事業転換により会社が良くなっていくのなら、出向などという手段も必要になってくるし、仕方ないなと思っていたけど、出向を命じられた人にスポットをあててみると厳しい状況にさらすことになってしまうんだなと思った。入社して何十年も勤めた所を離れる命令をうけるのは精神的にもしんどそうだなと思った。それでも仲間内で励まし合って頑張り続けている姿は素敵だと思った。

サラリーマンである限り意に沿わない仕事を命じられることは普通のことであの倉庫に送られた人たちに限ったことではない。そこを乗り切ろうという強さというかしたたかさ、これもサラリーマンの要件だ。


NECは日本の大手電器メーカーとしてやってきていたと知りました。NECのパソコンについては知ってはいたけど、国内シェア50%だったことがあるとは知らなかったです。それでも赤字を出してしまい、新しく人材を得る為に社内でのヘッドハンティングをしていました。社内でのヘッドハンティングとなると、元の部署への影響が出てしまうので難しいのではないかと思っていました。新しい技術が増える中で平均52歳となる出向はとまどうことは無かったのかと思います。成果主義を導入するということは新しい技術についていくことと、既存の技術や知識を持っていることが必要だと思うので30〜40歳くらいの人材が良いのではないかと考えていたので、平均52歳というのは少し高いなと思いました。

君の思いとは逆に「成果主義」的な評価は年齢が高い人ほど適用度合いが高い。より正確には、職位が高くなるほど「成果主義」的に評価させる。これが技術革新とどう関係するか、面白いテーマといえばテーマだな。


会社の最前線に立って働いてきた人たちが時代の変化の中で会社に必要とされなくなっていくような感じがした。インターネットによって利便性が増し日本の社会がより良くなってきただけではないことを知ることができた。今、すでにインターネットが当たり前の世の中であるが、私たちが年をとっていったときにこのビデオのようなことが起こる可能性は十分にあると思う。時代の変化にしっかりついていきたい。

仮に会社に必要でなくなったとしても社会にとって不要かというとそうとは言えない。日本では企業による雇用保障が厚いことが結果として、リストラによる喪失感の強さに影響しているともいえる。


NECに限らず、経営を建て直すためにビジネスを方向転換するには大きな苦労があることを感じた。今までのPC・半導体というビジネスからインターネットを利用したビジネスへと周りの環境の変化に対応して自らが変わらなければ、と方向転換を行い、それに伴って今まで働いていた部署から異動する人がいるということで、これから社会に出ていく上でとても勉強になった。それは公募で自ら異動する人やビジネスの転換に伴う自分の意思にそぐわない配置転換、出向だったりとどちらにしろ大きな苦労があるのだろうと思った。今までの業務とは全く違う業務をすることになった人たちも苦労しながらも頑張っている姿が心に残った。NECは事業転換に伴い本当に必要な人材を集めていた。目標をもって仕事をする大切さを知った。

あの番組後もNECのリストラは続くのであった。


社内公募制で異動した古谷さんはインターネットとは関係のない仕事をしていて、全く違う仕事に変わることを受け入れることはとても決断力がいる決断であると思いました。グローバル化やIT化が進んでいる現在の日本では今までのやり方でやっていたら減退していくばかりであると感じました。また、バイタルスタッフとして出向を命じられた中高年の社員たちは今までとは違う仕事で不安や焦りがあったと思いました。しかし、Oさんが全社員の悩みや相談を受けることにより、社員の人々の不安が少しでもやわらいでいたのではないかと感じました。最後に話のあった成果主義の導入はこれからの日本でも増えてくるのではないかと思いました。成果主義はアメリカなどでは導入されているし、年功序列の制度の方が珍しいと思います。入社後10年で成果を出した人と出していない人では年収が1.5倍も違うと言われていました。年収がここまで違うのならば、頑張らなければならないと社員たちは奮起して仕事に取り組む姿勢がより積極的になると思います。

・社内公募制にこと寄せて言うと、「全く違う仕事に変わる」ことはサラリーマン人生では普通にあることである。それだったら自分の意思で動けるなら動こう、というのは自然な発想だ。
・Oさんはリーダーとしての管理職の職責をよく果たしていた。ああいう調整・管理スキルはどこの会社に行っても評価されるものだよ。
・差をつけたら頑張るというのは誰でも思いつきそうなことでしょ。それがなぜそれまでなかったのかを考えるべきである。


何か大きな技術的な変化が起きて便利な製品が一般に普及し始めると、それに対応するために企業は今までやってきたことからの変化が求められるのはわかっていたけど、その企業の中で働いている人たちがその変化の中でどう具体的に動いていくのかは全くといっていいほど知らなかったので、今回のビデオは色々心にくるものがありました。最初の例である、社内公募で異動した古谷さんは変化の中に自分から入っていくという感じで、企業の変化のプラスの側面のように見えました。その次の例である工場の技術者の黒崎さんは今まで作ってきたものとは別の技術のものをつくるか、転勤して同じものをつくるかという選択の中から新しい技術を覚えるという厳しい選択を行い、頑張っていくというもので、これを見たときに世の中は厳しいなぁと思いましたが、次の例のSさんはさらにきついものでした。入社してから30年デスクワークしかしてこなかった人が急にブルーカラーの仕事に出向させられるというもので、出向のあいさつをするときのSさんの表情と声のトーンが全てを語っているようでした。前述の2人は自分で選んだ仕事だという感じがあったけど、Sさんは選択肢が何もない状態だというのが印象的でした。世の中が便利に変わっても皆が幸福になるのではないということだなぁと思いました。

企業の事業内容が変化することはよく知られてるが、そのことと対になった人の動き・変化はあまり知られてない、という指摘はなるほどと思った。その意味でもあの番組は貴重なんだな。いろいろ難しいと思うがNHKにはメディアなりオンデマンドなりで提供してほしい。


あおいくま
制度が大きく変わる時代にたまたま巻き込まれた不遇な人だなと思った。

そのくらいにしか感じ取れない人は不幸だと思う。


ミッキー
NEC程の巨大企業でも厳しい人事異動があると思うと恐い。会社に入り安定したと思っても中高年になって出向という名目で郊外に追いやられる人の気持ちになったら本当に辛い。会社は人の気持ちを考えていないのかな?と思った。インターネットの普及でここまで人生を変えられたら沈まずにはいられないと思った。

気持ちを考えて倉庫に送ったと思ったら恐ろしくなってきた


ミニー
今回NECについてのビデオを見て、会社は常に変化し続けているんだなぁと思った。そして、中高年になっても急に出向させられてデスクワークから身体を使う仕事へと仕事内容も大幅に変わり、ほんとうにきついし大変だと思った。成果主義に関しては、従業員自身の意欲も上がるだろうし、それに伴い会社自体も良い方向に進むと思うので、双方にとって良いと思う。

このペンネーム近くにいたやつとペアだなw 「成果主義」は導入したけど大混乱のあげく後退させた会社のケースが1件あってそれは一般的によく知られている。


ラプンツェル
NECバイタルスタッフに出向を命じられた人々の話はとても切なくなった。長年、本社でデスクワークをしていたSさんのように突然現場仕事に異動させられたらとても不安でいっぱいになるだろうし、50歳以上のいわゆる中高年になって、新しい仕事を覚えて現場での労働を強いられるのはとても大変なことだと思う。家のローンも残っているのに、突然収入が変化したら困るだろうと思う。誰にでも起こりうることなのだろうなととても不安になった。

実際、西南の学生の中でもあったりするしね。しかし前もってわかることじゃなく準備もできることではない。その時になったら腹を括るしかない。そういう覚悟が伝わってくるからSさんの表情はいいのだ。


バイタルスタッフとして関連会社へ出向することが決まった人がほとんど50歳を超えた中高年であったことに驚いた。「活力のある人たち」ならもっと若めの人を入れても良かったのではないかと思った。

確かにオーバーフィフティの人らばかりで「バイタルスタッフ」というのがなんかの皮肉に聞こえてしまうよな。しかし世の中にはそういう冗談が通じない人もいるのだな。


私はビデオの中で特に、NECバイタルスタッフへの出向の話が印象深かった。元々デスクワークをしていた人が急に全く違う倉庫での体を使った仕事をしなければいけなくなっているのを見てとても驚いたし、もし自分も将来同じことになるかもしれないことを考えたらこわくなった。ビデオで行っていた通り、出向と命じられてバイタルスタッフとして働き始めた人々は大きな不安や不満をかかえていたから、そういった心のケアをどのようにうまくやっていくかが将来その会社が良い方向に向かっていくかを左右する大きなポイントであると感じた。

心のケア云々、ほとんど伝わってきませんね、あの番組では。それでいい、もしくは仕方ないという社会の風潮があった。今思えばどっかおかしかった。その意味で今の方がまだ健全です。


ドラえもん☆【候補】
就職活動も大変だけど、就職してからも大変なことが多いと感じた。成果主義がこれからの企業で主流になっていくのは良いことだと感じるが、短期的にはあまり成果が出にくいような仕事の場合は成果主義ばかりをメインに置いてしまうとなかなか上手くいかないと思う。従業員の過度なストレスにならないような適切な目標設定をすることが大切であると感じる。自分たちは、このような競争の社会に出ていくという自覚を持って、様々なことに取り組んでいきたいと思う。

君が前半で言ってることはまさに成果主義への批判で提出された論点だ。まったく君の言うとおりで、1年か半期ごとに律儀に出てくる「成果」が果たして「成果」とよぶに相応しいものかという疑問が起きる。というか、そもそも「成果」とはなんであるかが整理されてない所で、その評価を制度化しようとしてもうまくいくわけないので。


TAO
人事担当の責任者であるMさんに少し腹が立った。会社のためとはいえ、上の役職の人のかってな決定で多くの人の生活を大きく変えてしまうことをあまり考えていないように思えたからだ。Sさんのように、長年会社のために一生懸命まじめに働いてきた人から今の仕事を取り上げて出向を命じるのは残酷なことのように感じた。社内公募制で多くの社員が違う部署に配属され、今までとは違う仕事を任されることと、出向されて任される仕事は同ようで全く違うことがわかった。年齢が若く、これからの働きに期待ができる社員は前者が当てはまり、中高年で体が若手よりは動けない熟年の社員たちが後者にあてはまり、会社を異動しなければならないというのは少し違うと思った。

Mさんというか会社の幹部みんなそうだと思うが、言ってることは1つの議論としてわかるが、何か思いが伝わってこない。きれい事で終わってるというか。悪いけどそりゃあの後も会社は苦労するだろうなと後付ながら思った。


【候補】仕事ができる人は上にあがれる、そうでもない人は異動になる、という現実をつきつけられたように思う。しかしながら、この場合仕事ができたとしてもブラウン管を取り扱う部署は時代の流れとともに仕事は減ってしまうであろう部署なので、本人の出来高はそれほど問題にならないと思う。個人的には今までデスクワークをしてきた人間を突然ハードな搬送業に出向させるのはどうかと思う。なぜなら、仕事で体を使う量が違いすぎて体を壊しかねないからだ。しかも、異動してきたのは中高年だ。リストラするくらいなら、最後に働いてもらおうという考えなのだとは思う。無収入か低賃金か、と言われたら収入のある方を選んでしまう社員の気持ちもわからなくない。私はこの愛があるのかないのかわからないやり方の正誤はわからない。

「愛があるのかないのかわからない」−そういう評価になると思います、この時の会社の雇用施策は。なお何度も言う、Sさん、Oさんは仕事ができないから倉庫に送られたのではない。ある年齢(勤続年数)を超えてしまったからである。


NAGI
少し昔の話のビデオだったけど、新しいビジネスにするという事は光と影の部分があるのだと思いました。若い人たちにとっては、チャンスだし新しい事にチャレンジでき自分の可能性を広げられます。しかし、長年会社を支えてきた人は同じ事をずっとはやっていられないとはいえ、会社の方針に従う(新たな場所へ行くか、新しい仕事をするか)しかないのだなと感じました。私の父は60歳くらいなので他人事とは思えませんでした。バイタルスタッフというカタカナで意味もカッコよかったけど出向は出向です。2年後にはボーナスもなくなり生活もおびやかされます。自分が社会人なったときは、ビデオのような可能性もあるという事を考え働きたいです。

結局会社(ひいては社会)に必要とされる仕事しかできない、という単純な労働力需要の問題になるんだけどね。しかしあの倉庫作業はこの原理を見えにくくする別の問題がある。


とくめい希望
配置転換によって今まで全くやったことのない仕事に無理矢理つかされるのは、少しきついものがあるなと思った。50以上になってあの地味な力仕事をやらされるのもきついだろうなと思った。

そうでもないとも思う。


企業を支えているのは社員である。逆もまた然り。しかしながら力関係は圧倒的に企業側が有利。ビデオでは一貫してこの事実を痛感した。そこにあるのは個人の意志ではなく営利性が感じられるのみ。長年勤めて来た人を左遷する人事部にも思い悩む節があるのに違いはないが、末端の人たちに一番影響を及ぼすのはシステムとして効率が良いのだろうが、何か釈然としなかった。

「営利性」に君がこめた意味にもよるが、少なくとも「営利性」の字面からうかがえるような意味合いの施策だったのかどうか疑問である。NECの正社員だった人達を倉庫の梱包作業につけることが。人事の人は悩むだろうね。ただ職位が上にある人ほどそこらの感覚は薄くなるように思った。


どの時代においても新しい技術がうまれ、それに伴って新商品の開発がされているが、その際に即戦力であったり若い力が求められている状況というのは変わることない永遠のサイクルであると感じた。老いていくうちで"未知である"ということが切実に恐ろしいことがわかった。現代の高齢の方々が生活を営んでいくうえで、パソコンやインターネットを必需品として使ってこなかったが故にいざ働こうとした際に必要とされないケースも未知であるがゆえの現代の恐ろしさだと思う。1からスキルを学ばせるのであれば可能性のある若者に高齢者には教える機会すら与えないという現実もあるようだが、可能性なんて誰があるかないかなどわかるわけないはずだ。むしろ体力的な問題でビデオのように他の職場に追いやるという形が見られるのだろうと思うが上に立つ人間にとっても過酷なように思えた。

皆が使えるとは言わないが、高齢者の中でも「パソコン」や「インターネット」を使いこなしている人もいますよ。高齢=能力劣化というのは分かりやすい構図だがそこに当てはまらない人もいる。


豆大福
映像の中で出てきたSさんという方が異動をせざるを得なくなり主任の座を失うというところでは今までSさんがその職場で積み上げてきた経験や地位が無駄になってしまったようで自分であったらとてもやるせないだろうと思いました。会社の都合によって社員の努力がほとんどなかったことにされるのはおかしいのではないかと感じました。異動するにしてもその現場において適切な地位を(それまでに見合ったものを)与えるべきです。

君の問題意識はよくわかる。定年前に一定の年齢で(50代後半が多い)役職をお召し上げになる運用は多くの企業で行われている。その意味であの番組でのケースはあまり珍しくはない。


ヤマモトマサクニオ
企業として利益の追求のためには業務の効率化はなされる必要があるし、自分が好きで選んで働いてきた企業に出向を言い渡されても裏切りでもなんでもないと思った。何十年もの間働く中で自分が突出した活躍ができなかった、しようとしなかっただけですべて自業自得といえると思うし、不運にも出向になってもどれだけ自分を納得させることができるかといった人間的な部分も試される機会が出向、配置転換なのだと思った。一般社会だけでなくスポーツの世界においてもよくあることで、自分だけがかわいそうなんて思ったりしてはいけないと感じた。

ペンネームが面白いな。「自業自得」って、企業で働くことは悪事ではない。そして、役に立たないから倉庫に送られたのではない。単に一定の年齢(勤続年数)に達したからである。


310
社内公募制は必ずしもうまくいくとは限らないと思った。公募した人は希望しているけれどその公募した人が所属していた部署の人たちは引き継ぎの仕事もしないといけないし、単純に労働力が一人減るので業務に支障がでる恐れもあると思う。

新しく別の人が配置されたと思うが、その人を巡って配置があって…と玉突きで影響するのだな。それだったら会社の方であらかじめ異動の組み合わせと決めておいた方がいい。会社に裁量がある配置(異動)の論理である。


K・N
IT技術などの発達がめざましい今の時代、会社が新規分野への参入を試みることは決して珍しいことではない。将来自分の勤める企業も大規模な配置転換を行うこともあるかもしれない。その際に今までやってきたこととは違う仕事でも、目標を明確にもってベストを尽くして頑張ることが必要になると思った。また、成果主義の採用については賛成で会社同士も競争によって大きく成長するように社員の間にも競争というものが必要だと思う。しかし、完全な成果主義では不満が高まり、社内の混乱に繋がるおそれもあるので成果主義要素が強いが、少し年功的な昇給も必要だと思う。バランスが大事だと思った。

実際には君がいうように、年功的要素を残しながら成果主義要素を加味した制度が実施されることが多かった。


Vamos!城後
出向と言うと聞こえはいいが、実際には中高年社員の人員整理の一環であり、そこには理不尽なことがつきまとっているとビデオを見て感じた。

城後は元々はボランチでデビューしたが、その後FW、右のSHをすることが多く攻撃の選手のイメージが定着していた。しかし去年からは、前方のポジションに加えてボランチ、SB、CB、GKも手がけるようになった。その結果、左右の別を問わなければ全ポジションをこなす選手となった。もちろん、それぞれのポジションで求められる役割をちゃんとこなしてしまう。試合評の中で城後の力不足を批判するコメントは聞いたことがない。あえて言うならGKとしてまだ課題があるというくらいか。逆に城後が抜かれたポジションの穴が指摘されることの方が多い。こう書いてくるとチームにとって実に有益な選手であることがわかってもらえると思う。しかし何かこれじゃない感があるのだな。


今まで全く関わったことのない分野に配置転換や出向になることは働く人にとって戸惑いがあると思う。仕事のノウハウが活かせなかったり、やりがいのあった仕事を奪われたり、職場が変わることで交通の便などいろいろな問題があるからだ。そういった面では、行きたい職場に行くことのできる可能性を持っている社内公募制は優れているといえると思う。しかし、これにも問題があるように思えた。それは社員が自発的にならなければならず、多くの人材を集めることには不向きであることと、上司には知らされないため、抜けた穴をどう補うかがおざなりになることだ。

Sさんについて言うと、元の職場から家に近い事業所に配転になった。その結果通勤時間は30分近く減った。しかも電車混み始めるあたりで下車できるので通勤の負担は大いに減った。もちろん偶然なんだけどね。


くろ
インターネットビジネスは今の時代必ず発達していく分野だと考える。NECのように社内公募制を利用し適材の人物を探すのはとても良い企画であると思う。社員側も自分のしたいと思う仕事に挑戦できるし、企業側もより高い意識を持つ人を集めての仕事など、よりよい意見が出るだろう。よって、企業は良い方向に進むだろう。しかし、希望していなかった職場に出向させられた社員のケアもしっかりと行うこともとても大切なことだと思う。

みんながみんな社内公募制を利用できるわけじゃない。極めて例外的な運用しかできない、と授業いいました、私は。


やまやましったーず
今から10年以上も前のビデオということで、その時点では見えていなかった未来を自分が生きているんだなと感じた。また、人の考え方も大きく変わっているように思え、職場が変わってダラダラと文句を行っている人に甘えるなと言いたいなと感じてしまった。当時は終身雇用でずっと同じ職場なのが当たり前だという考え方だったかもしれないが、今は人が次から次へと移り変わっていく時代となり、そこの所が10年前と今の人の考え方の違いはあるんだろうなと思った。普段、テレビで見るのは現在起こっている問題ばかりで社会が変化しているという実感はないが、10年も前のビデオを見ることで、社会は変わっていてこれからも変わり続けていくのだなと感じた。また、テレビで取り上げられている事が今主流となっているので、今テレビで取り上げられていることが未来なのかもなと感じた。

最初の言葉がロマンチックでいいがそこまでだ。なんかお笑いコンビのリットン調査団みたいな展開(>わかんねーよ)。Sさんのキャリアを思い出してほしいが、以前から仕事が変わることは普通だった。


S・Y
事業刷新や拡大のための企業として自社の環境と世の中の流動に柔軟に対処できる人を求めることとなるのは当然のことである。そこでそういった人材を集めるのは人事部の役割である。それと同時にそのような目まぐるしい状況に対処できない人材を出向、配置転換という言葉を借りた排除に乗り出すのもまた人事部の役割である。社内公募制といったものを使い従業員の能力開発、人材不足解消といった企業側の要求に答えられた古谷氏は新たな機会を得ることに成功したといえる。翻って、NECの施策についていけない中年といった人々も選択を同時に迫られている。名目上50歳以上の出向というのは、出向先の人材不足の解消、技術指導ということになっているが、新たな場所ではじめての仕事を強制させられる。さもなくばクビを切るという非情なものである。順応、若しくは排除という経営方針はやむなしということである。一方成果主義により、高い業績をあげた人が正義、という構図ができた。しかし、いざ実践されると自分も上司もそれに追われるし、目標が意味のない(抽象的、若しくは半期後に無意味)ものとなるという不合理もあり、新たな人事制度が求められてるのかもしれない。

違うと思う。


古い映像だったけど、昔から配置転換や出向があるんだなぁと思った。出向して慣れない仕事を毎日夜遅くまでしている中高年の人々はとても大変そうでかわいそうだった。

元の番組の映像はもっとクリアでしたよ。あれはもともとVHSに録画していてそれが劣化してしまったので画質が古くなってしまった。もっと早くにダビングしておけばよかった。


インターネットビジネスにおいて人事異動は職場の雰囲気やその人の働き方を大きく変えるものなのだなと思いました。異動になった人の精神状態が仕事にも大きく影響するんだなと思いました。今までしたことのない仕事に変わり、精神的ダメージは大きく仕事にもなれにくい様子でした。仕事の悩みを聞いたり、要望を聞いたりすることは仕事をしていく上で大事だと思いました。また、現在の成果主義は個人の業績として捉えられるので目標を達成しないと厳しい社会だと思いました。成果主義は目に見えるはっきりした成果ではあるが、一方働く人たちにとってはかなりの負担になっていると思いました。

まあね。


この映像を見終わったあと、最初に感じたころは働くということに関しての将来への不透明さだ。社内公募制で自分の意思で職場を変える人がいれば、突然の異動を命じられる人もいる。特に印象深かったのはNECバイタルスタッフへ突然出向を命じられたSさんだ。以前までデスクワークを行っていたが、この出向により工場の中で製品の仕分け梱包といった肉体労働に仕事が変わった。このような自分の意識に沿わない仕事で落ち込んでいたSさんの気持ちを考えると気の毒だった。やめるという選択もあると思うが、このような状況になったときは新しい仕事にやりがいを感じるようになるにはどのようにすればよいかを組織で考える事が大事だと思う。

仕事のやりがいはまずは個人の努力から生み出すというのが原則。それは倉庫の作業に限らずに。


y.m
NECの重視する産業分野によって様々な配置転換が行われ、労働者の真価が問われている。具体的にはデスクワークからの工場などでの肉体的労働への変化。

「真価」ってなんじゃい?


akinon
NECの社内公募制を用いて必要な人材をどんな職種からでも採用する案はとてもよいと思いました。広い視野から見ていくことにとより今までとは違う考え方が出てくるからです。しかし、その一方で出向というNECバイタルスタッフに命じられた人は今までとは違う仕事内容を任せられ過酷な労働環境を強いられていました。NECに入社当時はずっとデスクワークを想像していたのに急な会社の事業改革に伴い出向先ではまるで会社には必要のない仕事ばかり。「今まで主任などを任されていたのに。」とプライドを傷つけられ辞めていく人、不満を口にする人が多かったです。私はNECのこの大規模な配置転換は賛成です。よりよい必要とする人材を集めムダに年功序列の制度を守り、経営不振に陥るならばいっそその制度を排除した方が後の会社のためにもなると思ったからです。出向した方は不満が募るだろうけどそれならば出向先で自分が必要とされる存在になればいい。という西垣社長のコメントはもっともだと思いました。

一般論として「必要とされる存在」を称揚するのは正しいが、デスクワークをしていた社員を倉庫の梱包作業に振り向けるのが労務施策が果たしてそのポリシーと合致するのかどうか


髪切ったぜ
NECと耳にすると日本電気株式会社で有名な会社だと思い浮かびます。なにしろ、コンピュータや電器通信機器などの製造・販売、インターネット事業などを行っている。日本で最大のコンピュータメーカーですから。自分もこの会社はよくCMでも目にしていましたし、名前ぐらいは知っていました。しかし、やはり裏には大変なことが起こっていましたね。出向とかよく耳にするのですが、果たしてそれは本当に必要なのかと疑問に残りました。いきなりの出向でその人の心身ぼろぼろになり、かえって会社に不利益を及ぼすのではないか。これからこの出向というのを考えてほしいと思う。逆に、成果主義という取り方は自分は賛成でした。その出向をされた人たちに向けての唯一の救いだったと思います。

労働者のメンタル、モチベーションのあり方も含めて生産性を考えないといけない、というのは正論である。そこまで考えていたのかと疑問になる施策でした。


匿名
企業の構造改革により、今回はNECのインターネットビジネス化になることで配置転換をせざるをえないのは企業側からしたら当然であり、それも一つの経営ではあるが、長年働いている社員からすると、出向や新しい技術を覚えなくてはならないのは非常に大変なことだろうと思った。特に出向を命じられたNECバイタルスタッフの方たちは平均年齢50歳を超えているということもあり、異動した部署が肉体労働を要する倉庫であったため仕事に対する不満や意識の低下も見られた。今後も成果主義が進んでいくのと同時に出向する社員も増えていくということで、新入社員、中高年の社員に関わらず、一人ひとりが常に緊張感を持って仕事をして業績を残していかなければならないのだろうと思った。

元から緊張感を求められるのが仕事だよ。もしそうでなかったらそっちの方がおかしい。


匿名
今ではパソコンや携帯などのインターネット事業は普通でその事に関する知識を持つ人もたくさんいるが、たった十数年前まではそうではなくインターネットビジネスという新しい分野に人材をどのように投入し、社会や企業の変化にどう対応していくのか迷走していたのだと初めて知った。人材公募制という社内ヘッドハンティングを採用することは違う部署で力を発揮したい自信がある人にとって良い制度だと思う。その人を頼りにしていた上司が異動直前まで何も知らされないのは不憫な気もするが…。また会社が世の中の変化に対応していこうとする中で出向という命令を出されたり、新しい仕事内容を一から覚えざるを得ない中高年社員がいる。それぞれの部署の業績不振などによるため、仕方がないことかもしれないが、退職を前に職場を郊外の倉庫へと移され身体を酷使する仕事はあまりにも辛いと思う。出向制度はこの先どうにか良い形に変わらないだろうか。

人材公募制は「ヘッドハンティング」と違うよ(なぜかこういう誤解が昔から少なくない)。申し訳ないが、あの梱包作業は「身体を酷使」するものだろうか?


自ら異動を希望する人と企業の判断による異動で急に仕事が変わった人がいた。前者は前向きに取り組んでいたが、後者は年齢層も高く、意識にそわない仕事で大変だと思った。さらに会社では成果主義がとられ異動で仕事に慣れない中、業績をのこしていかないといけないという状況におかれ高年齢での異動は厳しいと思った。しかし、企業の業績を保つにはこれらは必要不可欠な制度だから、常に自分が会社に貢献するという意識で働いていけばおのずと業績もついてくると思う。

Fさんの状況とSさんの状況が混同されてるかな。1つ思ったのは、あの制度改革の柱である「成果主義」がSさんOさん達バイタルスタフの人達にとって何をいみしたのか、ということである。


インターネット・ビジネスというのは、今となっては当たり前の扱いをされているけど、このころのビジネスマンにとっては新たな分野であり、古谷さんのような若者の転職、佐野さんのような中高年の出向はとても簡単にできるものではなかったのだと改めて知った。今まで講義を聞く中で、会社全体の立場から出向という事態を見たときに、出向がここまで人の人生を変えるなんて考えてもいなかったが出向させられた佐野さんはじめ中高年の方々の生活・仕事ぶりを見ると人事の力の大きさを思い知った。しかし、人事には会社を守る義務があるのだから中高年の方々には申し訳ないが、出向はやむを得ないと思う。20歳の私にはわからないと言われればそこで終わりだが、転職した古谷さんのように新しい職場でもくさることなく、自分にしかできないことを見つけたり、ゲームセンターで流行をつかむといった自分なりの工夫をしたり、といった前向きな努力をしてバイタルスタッフとして行ってもらうことが解決法だと私は考える。左遷だろ考えている自体が間違いだと思う。

Fさんは自分の意思で異動した前向きなものなのは自他共に認められる。問題はSさんやOさんのケースである。やはりプライドが傷つけられる面は否定できないと思うよ。


てんとうむし
新たな事業改革をするには人事異動も仕方のないことだと思ったが、NECバイタルスタッフの場合50代くらいの中高年にさせるのはきついと思った。成果主義については自分の能力を見てもらえるからいいと思った。これにより常に緊迫感を持った人事関係を築いていけると思う。

はあそうですか。






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