2009年10月22日

*ビデオ鑑賞後、すぐに記入提出。その後、平木より補足説明。

会社が新しい事業を行うということは、その背景に大勢の社員の人事異動が発生するということが分かりました。本社に勤務し ていた中高年が別の会社に出向になった場合、仕方がないことだと割り切って働かなければならないのが現状だと思いました。

まあそういうことなんだがな。

出向というのは会社の命令で他の会社に移ることだと簡単に考えていましたが、このビデオを見て、移された中高年の人たちの気持ちを考えるととても悲しく なった。

「移る」と一言でいっても内実はさまざまである。それを学んだというだけでも進歩だ。

今までのビジネスモデルからネットビジネスへの転換という、時代の流れに取り残されないためのシフトだとしても、リストラされるよりはるかに良いけれど、 これまでと全く違った環境や体力が衰えてきた年齢での肉体労働というのは肉体的にも精神的にもかなり辛いだろうと思った。

ネットビジネスへの転換の結果が倉庫での単純作業というのはなんとも皮肉な話である。

アイスクリームちゃん
会社が方向転換するに当たり、出向などがおきてしまうのは仕方のないことだと思う。しかし、出向の対象となったSさんやOさんを見ていると、とてもい たたまれない気持ちになった。出向された上にボーナスもカットするのは、安定した雇用を守るべき会社がすべきことではないと思う。私が考えたのは、ロー テーションでバイタルスタッフに人員を補充していき、新卒採用もしくは非正規採用で少しづつ増やし、最終的には希望せずに入った人をゼロにするべきだと思 う。こんな言い方は良くないが、視さつに来た偉い人が笑いながら工場を見て回っているのをみて、腹が立った。やはり、古谷さんのように、モチベーションを もって仕事にのぞむことは仕事の効率もよくなると思うので、できる限り社員がモチベーションをもって仕事にのぞめるような環境をつくるべきだ。

人員補充に関する君の提案は理屈にかなっている。問題は理屈にかなった人員配置をあの会社が考えていたかどうか、というかそういう課題として認識しているように思えないこと、もっというとそれで構わ ないと思っている節があったこと。もっと根本的にはああいうものだと受け止めてしまう大人の世界があること。今君が示した感覚だけは新鮮さを失わないでほ しいね。視察に来た重役についてだが、今回初めて思った。あの人は一応重役の世界にいるのだが、その世界の中でも周辺的な位置にいる人ではないか、と。そ のことをわかりながらも熱っぽく訴えかけるOさんの気持ちたるや。

NECがインターネットビジネスに重きを置いた企業経営をしていくことに関しては先見の明があって良いことだと思った。しかし、これまで30年近く技術畑 だった人間を全く関係ない部署に異動させるのはいささかかわいそうな気がした。しかも50歳を過ぎた人間に半ば強制的に重労働を強いていたのはかなり無理 があると思った。だが、そんな中でバイタルスタッフのリーダーを務めていた男性が自分も出向してきた身にもかかわらず現場の士気を上げようと試みていたの には関心した。大企業であればあるほどこうした不条理が存在すると思うが、めげずに就活をがんばろうと思う。

関係ない部署に回すことは本人の気持ちやコンディションもさることながら、人材の活用方法としていかがかな、という問いかけが出てこないとおかしいことに気づいた。Oさんについては何人も言及して いる人がいたね。今回の発見である。


社会って厳しいなって思いました。社会人になりたくなくなりました。NECの社長の顔とバイタルスタッフのSさんの顔は天国と地獄くらい違ってました。 それでもクビにならずに仕事を与えてもらっているだけでもまあ良いようなものなのでしょうか。組織と言うのは残酷ですね。僕もそうやってキャリアを過ごし ていくのでしょうか...組織、上司、人間関係、結婚、出向と不安だらけです。

最初見た時から今まで変わらない私の感想を確認しておくと、君たちのようなショックはなかった、というものである。リストラがらみの配転は普通にあることだし、あのようなケースもあるだろう、と。この 分野をかじった人間の反応はそういうものだと思っている。しかしそれは感性が曇っているかなとも思い始めた。

出向とは非常に厳しいものだと感じた。中年の社員をバイタリティー部門にあてる意図が不明だった。バイタリティーといえば若者ではないのか?

短い言葉の中に鋭い指摘がある。日本語の素直な 受け止め方は君の言うとおりである。前向きな言葉を使うことも時と場合によるな。

成果主義を導入することによって1.6倍の給与の差が生じるということを聞いて驚いた。現在の企業でどれだけ成果主義を取り入れている企業があるのか知ら ないが、評価の基準にはどのようなものがあるのかが気になった。他にも、成果主義を取り入れていない企業であっても、能力を持っている人には昔から高い給 与が払われていたと思うのだが、能力主義と成果主義は具体的にどのような点で異なっているのか知りたいと思った。

成果主義の基準、能力主義との異同、はい、ちゃんと説明しないといけませんね。あとのセクションでやります。なお、「1.6倍」というのは制度の設計上、そういうことがありうる、ということである。同 じサッカーチームにメッシなりクリスティアーノ・ロナウドなりが入った時に君とどのくらい報酬の差が付くだろうか、ということ。

Sさんが本当にかわいそうで、見ててつらかったです。でもこれが日本の現状なんだなと思いました。今までデスクワークをしていたのに、いきなり力仕事させられて、NECひどいと思いました。でも、よく考えるとクビにならなかっただけよかったし、2年間だけでも給料保証があるという面でやっぱり大企業だけあって、他の中小企業に比べるとましなのかなと考えました。でも私だったら辞めてバイトすると思います(笑)。これはきっとまだ20歳で何も背負ってないし、社会に出てないから思うのも分かってます。Sさんが「ここで辞めたら自分に負けたことになるので頑張ります」という言葉、素敵だと思ったので、こういう大人になりたいと思います。あと、地元に残って違う仕事をするか、他県で同じ仕事をするかの選択をさせたところもひどいなと思います。でも私のパソコ ンはNECだから応援しています。

最後、いい落とし方してるな ^^
“クビになるよりマシ”、“中小企業より賃金・雇用保障の面でマシ”−わたしも大体そういう説明をしてきたが、わかっているようなら、わざわざする必要もないかな−じゃ、給料泥棒になるのでちゃんと話しましょう。“自分だったら辞める”というのは本当に実行するかどうか別にして考え方としてはあってよいと思う。Sさんのように辞めずに頑張るという姿勢も貴重であるが、なんらかの選択肢を自分の中に確保しておくこともキャリアを考える上で間違っていない。 なお、補足でも言ったように、地元をとるか職種をとるかという選択肢を用意するのはよい方です。最近のやはりNECの出水工場のケースのように完全撤退ではそれすら不可能だった。

本社(総合職)の人間は、新しい部所に行くか以前どおりの仕事をするか比較的楽な選択であったが、現場(技術職)の人間は全く新しい仕事をするか環境が全く変わる職場で同じ仕事をするかの比較的厳しい選択を迫られているのを観て配置転換がこれからの人生に与える影響は大きなものであると思った。

人生か、たしかに辞めた人がいたもんな。ちなみに、Sさんのケースでは異動先は家に近くなって通勤しやすくなってるのだがな(>ただの偶然です)。

ずっと本社に勤務していたのに、突然工場で勤務するよう命じられて、年齢も50過ぎていて、心身共にショックが大きいと言っていたSさんの姿がとても印象的でした。ずっと本社勤務だと思い家のローンも組んでいるはずだし、二年間の給与は補償されているとはいえボーナスカットも決定していると告げられたSさんの不安な気持ちを考えるとなんとなく心が痛くなりました。大企業でさえこういったことがあるのに、中小企業だとザラにあることなのかと思うと、これからの就活も怖くなりました。

「ショック」というのは甘いだろうと他人事だから思ってきたが、ある面においては、Sさんの考え方も呑気大将の私も変わらないような気がする。突然の変化が来るまでは自分の境遇は変わらないことを前提に思考行動する。だから変化が来るとショックを受ける。しかしそこで人生終われば楽なものだがそうはいかない。あらためて状況に適応するしかないなと最近思い始めた。

新入社員が金の卵といわれた時代の社員(中高年層)を、インターネットでの新たな事業の拡大を口実にして合理化しているように感じた。インターネットでの新たな事業のため、50人の専門的な?新入社員を採用し、次年度は150人に増やすとあった。果たして彼らは金の卵であり続けられるのかと思った。

これも鋭い指摘だ。私がいうべき事がまた減ったではないか><
実際問題としてSさんたち中高年の処遇の問題はインターネットの事業転換とは別の次元の問題なのだが、企業内の文脈ではつながっているわけだ。

10年前の2000年の映像だった。2000年というとあまりに昔に感じていなかったが、映像を見ていると、とても古いと感じてしまった。とにかく、今日のビデオで思ったのは、社員は所詮、会社の所有物であるということだ。印象に残ったのは、NECのバイタルスタッフへの配置転換で、上の人達は「バイタルスタッフは活力ある社員」みたいなことを言っていたが、そんなものはウソッぱちで、結局は会社の都合で振り回されているのだろうと思った。50歳以上の中年の方々がデスクワークからいきなり体力のいる仕事になれば当然きついし、活気なんかでてくるはずもないだろう。かといって辞めてしまっても、次に雇ってくれるアテなんかもないだろうから、我慢して働くしかない。会社からは特に保証とかもないのだろう。ただでさえ変化の早いこの時代に、変化について行けなくなったら、どんどんとばされるだろう。

映像が古いのかテープの保管状況が悪くて古くなったかは議論がありまして(すみません)。
「会社の所有物」−なるほどその感じ方はありだな。実際にはもっと社員の人達はしたたかただとは思うのだが。「活気」−そうだよな。最初に中高年社員が集められて出向辞令を出される場面あったじゃない。失礼ながらあれほど適確に「加齢臭」を表現した映像はない。私が普段若い者相手の仕事をしているから余計にそう感じてしまうのだが。とはいえ少子高齢化の日本を象徴、少なくとも先取りはしているんだよね。そしてNECのやったことを社会レベルでの解答にしてよいのかどうか。

ペンネーム
今回のビデオでは、配置転換における企業の裏事情が見られた。一番印象に残ったのは、NECバイタルスタッフへの出向だ。出向の際に、人事?の人間が出向する人達に「活力ある仕事」と言っていたが気休めにもならない言葉だと思った。今までの仕事からかけ離れた肉体的な仕事に移され新しい職場の雰囲気も暗く活気が感じられなかった。またそれとは逆に自ら違う職場を希望する社内公募制については、モチベーションの高い社員を素早く集められる点では良いと思った。だが成果主義へのシフトは業績を知的に評価されるという点では、追いつめられて力を発揮できないこともあるのではないかと感じた。NECという大企業が、インターネット社会によってこれほど大きく変えられていたことには驚いた。

結論的には今のところ基本的にあの施策は間違ってないと私は考える。しかし君たちのように「おかしい」という感覚を捨ててはいけないことも認める。その葛藤はまだまだ必要に思う。「追いつめ」−それは考えてなかったな。というのも、賃金のあたりで述べる予定だが、“成果主義の失敗”とされることの中に、君が指摘するような問題はあまり言われていなくてね。それがまた日本企業の問題なのかもしれない。

周りが変われば、自分たち(企業)も。変わらなければ、時代の流れに逆らっては、ビジネスとして先が見えない。このように、社会→企業→社員と変化する中での、人材というのは、NECでいえば、PCに精通しているだけではなく、ユニークな発想なども、もったものがこれからを支えていくものである。その中での、配置転換であれば、必ず起こることで、又、平均50歳という年齢の人でさえ出向により、全く違う仕事を行わなければならなくなる。これは、会社が変わろうとしていることの、反動である。その中での、成果主義への変化は、社員のやる気を上げる1つであると考えられる。

きれいにストーリーを書くとそうなる。しかしそう簡単にいかないのが人間社会のやっかいさでありおもしろさである。

匿名
インターネットの普及により、様々な企業が、配置転換をよぎなくされていたと思う。ビデオを見て、配置転換が、働く人々にとって、複雑に思うことであったと思った。40年働いて、今更違う職種に異動となるのはたまったものではないと思う。一から覚えなおし、そうなれば、営業利益も低迷するのではと思った。 よりいい人材の募集する公募制については、自分のいきたい職種などにいける制度であり、意欲も増し会社の利益にもつながってくると思った。

他にも指摘されていたが、モチベーションの上がらないあのような異動・配置で組織としての効率が上がるのか、という疑問は当然である。一番の不健全さは大人たちがそういう問題を等閑視していることにある。

一般の人には「いつのまにかインターネットは発達していた」という風に感じられるかもしれないが、その裏には企業の戦略とそこで働く人々の努力があるのだとわかった。従業員として働いていて、本社から出向して別の会社へ行かなければ成らなくなった中高年の方々の話を聞いて驚いた。NECバイタルスタッフに出向した方々は50歳以上がほとんどで、肉体労働ならむしろ若い社員にさせた方がよいのに、とも思ったが、それでは本社の新しい挑戦が成り立たない。出向命じられた方々は会社に裏切られたような気持ちになったかもしれないなと思い、事業の変更をすることの影響力は大きいと感じた。

正確に言うと、インターネットに変えられたのではなく、変わらざるを得ない状況で最後のよすがにインターネットにたどり着こうとしている、である。そもそもコンピューターシステムを伝統的にやっていた会社だから、それを拡大するというのが実際のニュアンスだ。問題は先行きの暗い製造部門である。同じ構図が、NECと関連の深い某通信事業者にもあるわけ。

ピカリン
私は法学部に所属する4年生です。 就職は公務員を志望しており、第一志望には着けず、今は別の公務員試験の結果待ちです。第一志望に落ちたとき、もう他に逃げ場はないんだと思い、別の試験を受けました。私の周りの友達は希望する職に就いているのに、私ってなんだかとても寂しい人だなぁと思いました。人生ってこんな厳しいんだと初めて痛感しました。  本当に前が見えない時、自分って何なんだろう、生きてて意味があるのか、夢をもてって言うけど、夢って何なんだと思いました。いや、今も“夢”はナゾです。  このビデオを見て、民間で働く厳しさ、つらさが目に見えて感じられました。試験に失敗した時、「民間でも受けちゃおうか」と思っていた自分がとてもはずかしく感じられ、申し訳なく思いました。何をするにも、生きるってのは難しい。たとえ希望の仕事に就けたとしても、それが自分にとって本当にやりたかった事とは限らない。でもその中で、自分を奮い立たせ、仲間と共に頑張る喜びを失わないような人間になりたい。  努力して自分が必要とされる人になる、という言葉は、これからの教訓にしたいと思う。どうしたら必要な人になれるのか、常に自分自身を高め、輝かせ、毎日を大事に生きることに今は専念したいと思っている。

こちらの教育意図とは違う次元で君の琴線に触れたようだ。視聴覚教材(NHKはそんなつもりないだろうけど)を使う時はこのような幅が生まれるのがよい。人生の勝負時にうまくいかないと、精神面でのあれこれ悩むことは普通にあることだ。しかし君が自信をもってよいことが一つある。そこにおいても、別の試験を受けるという行動を捨ててないこと。考えることと行動することは車の両輪だ。これからも悩んでください。だけど立ち止まらないでください。

思っていた以上に、出向ってきついことが分かった。切ない。毎日便利に使っていたインターネットだったけど、すでに2000年にこのようなことが一つの会社で行われていたことを知って、逆に自分が時代から遅れているような感覚がした。会社の新事業は必要不可欠。ただ、そこに生じる社員の犠牲がとても大きいように感じた。精神力も落ちてきているような中高年の出向ではなく、若者のフリーターやアルバイトでも十分にやっていけるような作業のような気がする。出向を命ぜられ、辛い日々を送っている社員のためにも、せめてボーナスが減らないように事業を成功させ、古谷さんのような公募で自発的に働いている人にも頑張っていってもらうと、世の中少しは救われると思う。

アルバイトでも…ダメだよ、そんなシャレにならないこといっちゃ。会社としては、“アルバイトでもできる仕事でも正社員としての処遇を維持してあげるのだから”という意図である。そのこと自体が当人達のプライドを傷つけてしまう。皆が納得する解はない。バイタルスタッフの事業としての成功は望ましい筋論である。他の会社の分社化ではそのことがよくいわれる。問題は、当事者がその筋を信じられていないことである。

NECが他社より送れてインターネットビジネスに徐々に移行するために、企業内でさまざまな部署の人達が配置転換して成功に至るまで、いろんなアイデアでのりきったのは、それぞれ個人が目標をかかげ、実行していけたからだと思う。日々顧客のニーズが多様化して、社会が変わっていくなかでそれまでにやってきたこととは全く別の分野に取り組み、着実にニーズや社会性に合った企業に変化していったのはすごいと思った。職種や目標が変わっても企業全体での働き方はそれほど変化していないのではないかと思った。

NECが聞いたら照れちゃいそうなコメントだ。基本は今でも製造部門にも軸足を置く会社なんだけどね。あの取材からまだ10年だよ。

食欲の秋
眠気に勝てませんでした{ドコモの泣き顔}すみません{ドコモの泣き顔} 起きている範囲ですが、「ものづくりだけの経営の転換」ということにより、製造をしていた人が配置転換により全く違う分野の新しい仕事を始めることにおどろきました。自分がこれから就職する上でもし大きな企業に入ったら、こういうこともあるのかと配置転換について具体的なビジョンを持ちました。

あの場合、アメリカだったら、スクラップされる事業の人間を解雇し、新しい事業へは経験者を中心に外部調達するだろうね。こう書くと、あちらの方が効率よさそうである。しかし日本は違う。そして製造業の効率が世界的に見て高い。

麻生太郎
00年当時のNECはずい分と思い切った配置転換を断行したものだと思った。資源としての労働者と見なされる、それまでの職分野に慣れていた社員の葛藤が実に興味深かった。社内公募制にしろ成果主義にしろ出向にしろ、番組放送時点ではまだ始まったばかりだったシステムが、およそ10年を経てどのようなメリットとデメリットをNECに残したのか知りたいと思った。

まったく君の言う通りである。入って調べてみてよ…というのは半分冗談として(半分かよ)。
実際は、「成果主義」という言葉から連想されるほどの変化ではなかったと思う。NECでもあの場面を見る限りやっている、目標設定は数値管理的なものじゃないしね。そのような企業では今でも続いているのじゃないかな。そして過激なケースでは揺り戻しが起きた。こんな感じである。

会社が変わろうとする時に社員もそれに対応していかないといけないが、企業が大きいとそれも大変だと思いました。若い人はこれから新しいことを覚え、対応することもできると思うが、そうでない人たちを見るのは辛いです。しかし、それをしなければ会社が最悪倒産の可能性もあるので、社員の人を守る為でもあるんだと思いました。

労務管理というか労働問題研究の分野の大御所の方(故人)が今から半世紀近く前に、“産業構造の転換は適応力の高い若い者の参入によってなされる”みたいなテーゼを出してね、それが常識になっている。しかしその常識疑ってみてもいいかもしれない。高年齢者が新しい仕事への転換困難というのは自他の思いこみに過ぎないかもしれない。

時代は日々変化していき、企業も従来のやり方では生き残れなくなるような大きな波が来ることもあるだろうと思う。そのとき、社員はどのように対応していかなければならないのか、と考えさせられた。長年やっていた仕事から一変して全く内容の違う仕事をやらなければならなくなったとき、一から覚えていかなくてはならなくなったとき、とてもストレスに感じるだろうと思う。 リストラが1番キツイものだと思っていたが、配置転換や出向も働く場所があるとはいえ、とてもキツイものだと思った。デスクワークを何十年もやっていた人達が、いきなり50歳を過ぎてから現場で働くのは、体力的にもかなり酷だと思う。だからといって、配置転換や出向をやめると、会社がつぶれてしまう可能性がある。早く景気が回復し、このようなことが起こらない世の中になってほしいと思った。

中高年のリストラがらみの配転は、景気循環以前に構造的な問題への対処法である。だから、少子高齢化による労働不足の問題がより顕著になるもう少し先までは解決しないだろうな。

これまでの年功序列、終身雇用といった勤続年数で労働者の価値を測るやり方からNECは社内公募制での社内ヘッドハンティングやNECバイタルスタッフへの出向といった勤続年数重視ではなく個人の能力で

ふはははは。

ヽ( °°)/
今回のビデオで取り上げられたのはITで、とても分かりやすかった。変化が著しく、ビジネスモデルも変化していく。そんな中、需要(どんな人材が必要か) も変わっていき、今までのやり方(年功序列制etc.)では、対応できないというのも理解できる(俗に言う生ぬるさ)。感情論だけで会社を経営するのは無理な話だと思うが、ビデオで見た出向はショックを受けた。事情は分かる。その必要性も分かる。しかし、あまりにも社員の意志とかけ離れたところで、問題が片付けられているな、と思った。IT社会に突入し、これからさまざまな業界がモデルチェンジ、シフトチェンジしていく中で、こういった対応の仕方がスタンダードになることが恐いと思った。

社員の意思とかけ離れたところで…それって日本的な企業の在り方としては普通のことだよ。少なくともこれまでは。意に染まない配転も。平木中年が生まれる以前から。そうか、それちゃんと説明してなかったな、ありがとう。

大きな会社の中に、組織が数多く存在し、配置転換という大きな変化が会社や社員にどのような影響を与えるのか、一部の社員たちの実情から知った。50代の社員たちが、180度違う仕事に転換されることの厳しさは、深刻だと思う。自分の親と同じような世代の人であるから、自分の親に置き換えて考えてみると、もしかしたら親も同じような状況にたたされ、苦痛な面があるかもしれないと私は悲しくなった。

かれこれ10年ほどこのビデオを見てもらっているが、自分の親のこと思い出した、という感想は初めてのような気がする。そういう感じ方はいいね。補足でも言ったが、若者の雇用難は解決すべき問題であるが、中高年をリストラすることはその4倍ほどの人間の生活をリスクにさらすことになるんだよね。

ロイヤルミルクティ♪
今ではあたり前となっているコンビニに置いてある機械がどのようにして作られているかが分かって、以下にも仕事!!!という感じがした。面接をした後の面接官の反応もリアルに見れて、就活にますますプレッシャーがかかった。「あおいくま」を目標にかかげた代表の方のくやしさがとても伝わってきた。

このように実感に引き寄せて理解してくれると紹介した人間としてうれしい。古谷さんの目標設定に対する、上司のつっこみというか批判、論理としてわかりやすいでしょ。あれは見習いたいと思った。

インターネットが広がったことによって日本の産業の仕組みが大きく変わったのだと思いました。それをうけて会社が変わり人事異動など様々なところで働く人は影響を受けていくことがわかりました。

インターネットで生活が変わった、とはよくわれるが、産業構造はどう変わったのだろう、ふと思った。関連ビジネスが生まれた、作業効率が上がった、流通チャネルが変わった、テレビが見られなくなった…なにかドスンと来る説明がないんだよな。

インターネット導入における大量の人事移動で自分のやる気を売り込むことで成功した古谷さんと、それと逆に出向を命じられて郊外の倉庫で働くことになったSさんの様子を見て、自分の実力によってこんなにも人生が変わってしまうんだなと思い恐ろしく思った。特にSさんの場合、業績が伸び悩んだ末に起きた異動はこの厳しい世の中を顕著に表した例だと思う。見ているだけで胸が苦しくなった。もし自分だったら倉庫に視察に来た本社の人間をどんな目で見るのだろうか。成果主義の場合は自分のやる気や実力による結果だけが求められる世界なので会社から「求められる必要とされる」人材になることが大事だとつくづく思った。

おそらく毎年出るであろう感想のようだ。はっきり言っておきます。Sさんたちはできないから倉庫に追いやられたのではありません。年齢です。もちろん、同じ年齢でも幹部は本社に残っているから昇進競争での優劣があったという見方はありうる。しかし、言っておこうか、SさんやOさんの年齢と勤続年数はアナウンスされていたよな。そこで彼らの学歴、そしてき企業内の身分が導ける。単純に力があるなしではないということだ。

自分がこの仕事をしたいと思ってみんなNECに入社してるのに、配置転換で、全く違う仕事をしなければならなくなるなんてすごくつらいと思う。いい出向もあるのかもしれないけど、このVTRを見る限り、体力のいる仕事で、みんなとても辛そうだった。しかも、Sさんの場合は、主任という立場を失っての出向で、約束された給料も、あと少しで、もうすぐボーナスもなくなってしまうという。こうなると、不満がすごくたまると思う。こんな中でもリーダーを任せられたOさんは前向きにいかなくちゃいけなくて、合言葉のようなもの「あおいくま」をつくったり全体の意見を聞いたり、働くということは本当に大変だとすごく思う。年功序列から、成果主義に変わって、いい面もあるのだろうけど、すごく大変なのは、年をとって体力てきにも若い人と差ができた時に、こなせる量が 変わってくることではないかと思う。

変な話、私にように元がダメな人間などは自分の半分の年齢だった頃に比べて今が劣っているという感覚はない。昔より体力があるし、働くし。Sさんたちが辛そう?私の授業の4限の終わり頃の君たちの方がよほどヘバッているではないか(いばるなよ)。人間、覚悟があればなんか適応するものです。

カフェオレちゃん
人事異動のリアルな現場を見て、衝撃を受けました。社内ヘッドハンティング等、響きはよい風に聞こえますが、実際は急激な世の中の変化に対応するためなどといった、競争社会の中での生き残りを感じました。競争社会で勝ち残る為の会社の出向命令、先程のビデオの中にあった平均年齢50歳を超える社員を隅にやるようなものは、人情的に嫌だなと感じました。

かわいらしいP.N.三連発。実際は安田大サーカスのヒロみたいな男子柔道部員が書いていたりする。
競争はプレッシャーだけど多くの人は適応してたりする。

カフェラテちゃん
急な環境の変化は、慣れるまでが本当に大変なので、そこで逃げずに前進していく事が何よりも大事だと思う。自分の希望で異動するか否かに関わらず異動先でも努力して、企業の力になる事が大切だろう。

かわいらしいP.N.その2。実際はあごの割れたアメフト部員(髭のそり跡が青い)が書いてたりする。
日本のサラリーマンは自分の希望という発想は原則としてしないのだな、これが。

ココア{ハート}ちゃん
大企業に勤めると確かに安定しているだろうが、配置転換があったり、今の時代不都合なことも多くあるのだと分かった。年をとって配置が変わるのはまた新しく仕事を覚えなければいけなくて、逆に効率が悪くならないのだろうか、と思った。

かわいらしいP.N.その3。実際は胸毛の濃い腋臭のレスリング部員だったりする。
効率、そうね、しかしOJTという考え方もあるぞ。問題は当事者がそう割り切れるかどうか。

NECの下した配置転換は、なんて厳しいものなんだ…!!と思いました。しかし、これが社会でありこれが生き残りをかけた企業の在り方なのだと改めて思いました。成果主義を導入したNECはこれからが日々競争だと思います。バイトをしてて思うのですが、実際成果主義でないとやる気が起きないのは事実だと思います。入り立てということで、仕事が出来ない上司より仕事が出来るのに給料は安いとなるとかなりやる気は欠けていきます。本当の意味で企業の向上を目指すならば成果主義は第一の基本であると考えます。

学生バイトごときに成果主義を講釈されたくないぞ、と働くおじさんとして言わせてもらう>たいして働いてないだろう。
差を付けることへの基本的な問題意識、なぜ出来ない上司(もしくはベテラン)という現象が生じてしまうのだろう、なぜ出来るようにさせないのだろう。

NECという企業は誰もが知っている大手の企業であり、今ではインターネット業界の中でもトップクラスのシェアを誇っている大会社であるというくらいの認識しかなかったが、今回の放送を見てその大会社の裏に潜む人事の大規模な配置転換という厳しい現実を知り、今まさに就職活動が始まったばかりの身としては、とても考えさせられる内容だった。

なるようにしかならないし(投げやり)。

伊右衛門焙じ茶炙り茶葉の香り
見ていて切ない気持ちになった…というのが1番の素直な感想です。社内公募制で自ら…ならまだしも50歳を越えての、しかも今までデスクワークを何十年もやっていた人に一転して肉体労働だなんて事実上のクビ切りと一緒だなぁと思いました。でも悲しいけどそれが現実で人事部長が言っていた“社会が変わり会社が変わるとき社員が柔軟に変わっていかなければならない”という言葉が今の雇用の在り方なのかなと思いました。

あれって北米事業の失敗で会社に損失を与えた幹部に向けていいたい言葉だったりする。

バンホーテンミルクココア
 だいぶ前の映像だったけれど、出向された人達の話はとても辛かったです。しかし、今では派遣切りなどもっとひどい事が現実に行われていると考えると、やはり雇用というのは難しい問題だと感じました。社内公募制で今から最も成長する分野の事業に関わる仕事へ異動した古谷さんと、長年自分が力をそそいで仕事から出向という形で全く違う部署へと異動になったOさんやSさんでは天と地のような感じがしました。やはり最先端の事業には若い人材を投入するのが一番いいとは思うけど、今の日本の雇用問題をより実感し、またこれから自分達が経験する就活についてもよく考えさせられる内容でした。

「派遣切り」の問題に触れたのは君くらいかな。その現実感覚は大切にしてほしい。「最先端の事業」−それもやがては“レガシー”系となるやも知れない。日本企業は産業構造の転換を企業内に取り込む形で企業内で人材のシフトを行う、とも整理できる。できるだけ失業を出さない。

インターネットビジネスはアイデアと発想がカギであり、昨今では携帯の普及が著しくインターネットに詳しい人材が今まで以上に求められていると感じた。また、出向した社員が平均が50を超えており、体力的にも精神的にもつらそうな単純作業を作業させられとてもつらそうだった。現在、個人の能力、業績がはっきり反映される成果主義の時代であるので、結果を残さなければ、給与、年収に差がついてくるので企業内競争は、より激化しているように思われる。

大学教員が言っても説得力がないのだが、精神的にはわかるとして体力的にきついのかな、あの仕事?私にはピーク時の外食産業であるとか流行ってるスーパーのレジ打ちのバイトの方がきついと思うのだが。「差」ですか、有無で言ってもあまり意味はない、どの程度、という程度問題の方が重要。

2000年という年は特にインターネットが社会に大きな影響をおよぼした時代であり、インターネットの普及は同時に企業の経営にも大きな影響を与え、企業の裏の姿が明らかになった出来事であったと思う。成果主義を取り入れたことにより、成績の結果がさらに現わになり、組織のスリム化のために出向という結果になることは、企業の効率的な経営を第一に考えた政策であると思った。中高年を多く対象とした出向というところにそれが顕著に出ているようであった。携帯電話を中心としたインターネットが今後も今まで以上に発達することが予想される中、特にこのような産業のNECは人事異動などの管理が多様化されると思う。

ごめん、よくわからなかった。

 ビデオを見て、配置転換とは本当に異業種の人が異動させられることだと分かり、とても驚きました。それまでは、「少しは関連する業務をしている人たちが送られるのだろう」くらいに考えていたため、NECバイタルスタッフへと出向させられる中高年の人たちを見て、何十年も働いてきた職場と業務を捨て、工場で力仕事をさせられるのは辛いだろうなと感じました。  社内公募制は若い即戦力を新しい仕事へ、というのが前向きな感じがして、とても良いなと思いました。  時代の流れに乗るために企業も変化しなければいけないとは思いますが、社員の人たちが実際働く場所が変わったのを見て、変化をすると、大変な事も出てくるのだなと感じました。   出向は、知り合いに実際した人がいなかったので、具体的に分かっていなかったけれど、NECの場合、給料はガタ落ちするし、仕事内容は悪くなる。辞めたければ、どうぞ、という様な冷たい感じがする。ただ、社内公募の古谷さんと、出向を命じられたバイタルスタッフのOさん、Sさんは、全く知らない私から見ても、やってくれそうな感じや、やる気、活力というものが、正反対のような気がして、主任をやっていた人が、バイトでも出来そうな梱包の仕事に回されるのは、しょうがない気も感じられた。自分が、社会人になって、自分の部署の経営成績が良くなく、出向がある時に、自分は対象外になれるように、日々、こなすのではなく、毎日頭で考えて、自ら向上させながら働くことが大事であると思う。

“自分はああならないように”−あまり口に出しにくいが皆が思っていることである。否定はしない。しかし、実際にああなったらどうするか、という心構えも必要である。リスクマネジメントというのは基本的にそういう心の構えである。

アデバヨール  
1番印象に残ったのは、NECバイタルスタッフへと出向になった人たちの顔だ。  今までやってきた仕事とは全く違う肉体労働の仕事を出向によってやらなければならなくなった人々は、とても気分が落ち込んでいる様だった。正直に言うと、自分はあの様にはなりたくないと思った。能力がある人間だったら、出向することはないはずだ。企業はその人たちの面倒を見なくてはならないという責任によって、出向という形をとっている様に見えた。本当にその人たちを必要としているわけではないだろう。  自分に置き換えて考えてみると、少し恐くなった。30年後の自分があの様な状況になっていない自信はない。むしろ、面倒をもらえるだけ幸せだと思った。  だから、自分が本当に必要とされる人間となれるように努力しなければならないと思った。

Sさん、Oさんは「能力」がないわけじゃない。とにかく会社に「要らない」といわれてしまった。その理由はすぐにはわからないが、普通に考えたら大人であればよくわかる。仮に早稲田大学第一政治経済学部を出た社員であったなら、たとえ無能でも倉庫の梱包作業に回されることはなかっただろう。会社を出されるにしても小さいながらも関連会社の社長に収まり安穏と日々を過ごす。え?博多の森?

社内(人材)公募制のところが印象に残っている。講義で言っていた通り、上司に秘密で面接等が始まるんだなあと思った。自分の意思が尊重されていた。そしてそこで働く古谷さんがいきいきとして働いていると思われた。あと「出向」が印象に残った。中高年を対象としていて、もし自分があの立場にいたら本当に嫌だと感じると思う。

どんな仕事でも「いきいき」という瞬間はありますよ、そりゃ。命令された仕事でも「いきいきと」働くのがサラリーマンの要諦ざーます。

あの配置移動は、ある意味“うば捨て山”だと思った。それに今後、人数をどんどん増やすと述べていたが、人があるれることはないのか?それとも、人がどんどんやめていくことを想定して、増やすことを決めているのか?ということが気になった。

言いにくいことをはっきりいうね。イヤな言葉だけどそう理解するとわかりやすいのがイヤな話である。え?博多の森?

10年前はまだインターネットが普及していなくて、成長チャンスであったことを知り、楽しそうだなと思います。伸び幅が無限にあるインターネットを初期の頃から成長に携わるなんて、アイデアも出し放題だし、夢にあふれとても魅力的でした。その中における配置転換は出向を命じられた人にとってとても辛そうでした。30、40年も勤めたのに、次は体力勝負、いわばブルーカラーの方にまわされ、しょうがないとは思うけれど、少し憤りを感じました。どこの企業でも、もちろんあるだろうけれど。それを回避する方法があってほしいです。更に体力を消費 する職場に50代のおじさん達を大勢あつめて、果たしてそれが会社に利益を生むのかなぞです。古谷さんの社内公募制はとてもよさそうでした。多くの人に平等にチャンスを与えるというのは、とてもいいことだと思います。

「平等」じゃねーぞ。どう考えてもOさんやSさんは応募してないだろう。しかし梱包作業の「利益」か…非正規なり派遣を使うなりしか思いつかないな。

配置転換によって全く未知の世界にとびこむことは、プラスの効果たくさんあるだろうが、納得いかない事業所に行かされる人からすると、嫌なものであるだろーと思いました。企業の進化には痛みが伴うことになるのは仕方ないのだろうと思います。ただ、仕事が変化した時に自分も進化出来たらステキだと思います。

仮定に仮定を重ねてる。

NECの人材公募制の採用はインターネット部門が最重視される中で新しい技術、研究の開発のため、企業が衰退しないためにも必要な決断であったと思いました。しかし、新しい流れを社内に入れると古い流れを社内から出さなければならなくなるといったようにSさんの出向を見ていると社会の厳しさを感じた反面、どうすれば自分は社会で生き残っていけるのかという新たな考えをいだきました。

たとえ社長になる人であっても、自分のキャリアを見通したりましてやコントロールすることは不可能。

メタボ
現実を知った。 自分で選択挑戦することで新たな環境で仕事に取り組むことを与えられた人と自分で望んでいない新たな環境で仕事に取り組むことを与えられた人の対となる2人を見た。思ったことは後者に多い。出向とはイメージでしかなかったが本当に全く異なる職場に異動するとは考えていなかった。今日のビデオを見る限り、辞めさせようとは言わないが、出向とはそれを促しているように感じた。実際、2人の同僚が辞めたことと、今後更にあの職場に出向される人が増えるということを聞くと、そうとしか思えない。だが2年間の給与保証はNECの思いを感じることができた。

本当はもっと体裁を繕うものなのだが、あの番組では本音が明確である。補足でも述べたように、“日本的雇用慣行の見直し”、“年功制からの脱却”が肯定的に語られていた時代の産物です。

新しい事業を確立するために必要な人材を集めるには、大変な苦労が必要なんだなと思いました。また、その事業を手がける人々は、強い意志をもった人なんだと思い、とても関心しました。NECのような大きな会社は、たくさんの社員を抱え、経営していくには大変な苦労をすると思う。

感想が大ざっぱだ。

新規ビジネスによって、会社は動いて利益を獲得するかもしれないけど、社員さんの負担はすごいだろうと思った。今までとは全然ちがう職場で働くことによって、ストレスもたまってしまうだろうし、かと言って、会社を辞めてしまえば職を探さなくてはならない。会社の動きで1万人の人が動く-良い面もあり悪い面もあるけれど、NECのような会社は進化し続けるIT産業についていかなければならないのでやむを得ないことなのかなと思った。

年を取れば取るほど会社を移りにくい、ということはあるし。しかしそれも元はと言えば従業員を定着させようとした施策の帰結なのだがな。

私が働いているコンビニエンスストアでもインターネットなどを利用したサービスがあり、多くのお客様が便利なサービスとして利用しているがその裏側には、人の人生に関わるような変化が起こっていることに気付きました。今の世の中においてはインターネットなどの機器が存在することが当たり前になっているけれども、その基盤を作ったともいえるであろう50代の方々が、新規ビジネスの参入により苦労していることは仕方ないことなのかもしれないが、心痛む話だと思いました。社内公募で若い社員が活躍することはとても企業にとってもその人個人にとっても良いことだと思うが、その反対側の立場がいることにももっと問題視していいと思います。  このような問題は今回見たNECだけでなく、多くの企業において起こっていると思うと、私達新卒採用のことだけでなく就職した後のことも心配になりました。

正直言って、「インターネットビジネス」への参入と、Sさんたちの運命を重ね合わせることは短絡だと思う。ローソンのロッピのせいでSさんたちが冬でも吹きさらしの倉庫で作業をしないといけないわけではない。しかし同時に生じていることはたしかだ。中高年の賃金単価が割高だというが、彼らだって若い頃は低めの賃金で働く割安な労働力だった。いいとこ取りはできない、したら社会的信義の裏切りである。

匿名
社会の変革に柔軟に対応していくことが企業が生き残るためには必要であることは大変理解できる。NECでは成果主義をとり入れ、年功的要素を排除し、個人の業績がはっきり分かるように変化している。変化する企業の中で一番とまどっているのは長年勤めてきた中高年世代だと思う。あと少しで定年をむかえる中高年世代にとっての出向は若い社員と比べて心身ともに大変な苦労だと思う。変化に柔軟な人材が企業で生き抜いていけると思いました。

何度も言う、中高年社員は柔軟性に欠けるから倉庫に出されたのではない、中高年だから倉庫に出されたのである。

このビデオは2000年に放送されたものだが、たしかに現在は2000年よりインターネットも多様化したと思うし、NECは大きなビジネスチャンスを得たのだろう。  しかし、「配置転換」というのは、職員や社員の人生を変えてしまう大きなもので、ビジネスチャンスの代償と考えても大きすぎるのではないかと思った。  企業に入った時は、十分な給料、手厚い保障、ボーナスなどをもらい安心して一生働けると思っていたら、定年近くで出向。体力仕事をさせられボーナスカット…  成果主義も企業から見ると能率UPかもしれないが、いつ訪れるかもしれない配置転換の日をおそれて働く社員の気持ちははかりしれないと思う。  緊張感をもった人事関係が必要と西垣社長は言っていたが果たして社長は本当に従業員が人生がかわる様な思いをしてるのと同じくらいの緊張感をもっている のかと言いたい。就職活動を目前にNECは絶対イヤだと思ってしまったが、この不況で、どこの企業もそんなに変わらないのかも…と思うとこわくなった。  NECバイタルスタッフのリーダーOさんはすごくいい人{ハート}自分自身も納得できてないはずなのに、スタッフの相談に応じるやさしさに感動!!

西垣社長なんてマシな方だよ。“業績が悪いのは社員が働かないからだ”と言って、「成果主義」を導入しようとしたものの、社員の反発を買ったり制度設計が変だったりして「見直し」を余儀なくされた社長もいる。Oさんに対する評価は同意する。とくに「自分自身も納得できていないはずなのに」というのは大人の世界の本質をついている。と、イヤなことはイヤとばかり言っている私が言っても説得力ないが。

NECが配置転換をしたことで、会社全体の意識が変わったことがはっきりと分かるビデオでした。出向されたメンバーはもちろん、周りのメンバーも周囲の人々が続々と出向や社内ヘッドハンティングなどで異動があっているのをみると気が引きしまると思います。NECは時代の流れを瞬時に読みとり、社内ヘッドハンティング、配置転換や出向などをおこなったことはすごくいいと思いました。若い力は伸ばし、高齢者(特に使えない人)は切る、出向させるという意図が明確で、そういう背景の中で不満や不安を持ちながらもNECという会社の中で不況という時代と戦い続ける人をみて、会社も新しいことの開発や利益を上げることに必死だけれど、1人1人も生活をするために必死なんだなーとしみじみ思いました。労務管理を学んでいく中で私はいままで人件費削減や出向などあまりよく思っていませんでした。しかし、今日ビデオをみたことで、会社が不況という時代を生き抜いていくには、いろいろな発想を持ち、その時代に合わせた経営をするためには、出向や配置転換なども必要な間違ってない処置なんだなと思いました。

必要なのか間違ってないのか私にはわかりません。確かにいえることはあの当時としてはセオリー的に正しい新しいとされている諸施策を実行したということだけです。あまりにも教科書的です。授業の教材に即使えるから私も使ってます。しかしそれはあくまでも認識の出発点です。

授業の中で説明されている「配置転換」や「出向」の様子が具体的に映像で分かったので良かったです。

良かったですね。

◇“NECバイタルスタッフ”については、「バイタルスタッフ」を活力ある人としていましたが、実際、どうなんだろうか…とちょっとせつないような複雑な気持ちになりました。
◇あと「成果主義」は、どの企業も取り入れてほしい制度だと思いました(できれば政府などにも…)。目標、達成ができたかできてないかで、収入に1.6倍の差とは…それはがんばるしかない!ってなりそうだし、そんな社員が多ければ多いほど、その会社はよくなるんではないでしょうか…?

◇そうですよねなにが「バイタル」か、と。しかし、世の中にどれほどあの手のネーミングのあふれかえってることよ。
◇どうも「成果主義」というと各人が主観的な願望を投影する傾向があるようだ。成果で測ることが望ましい、なんて特に新しい発想ではない。なぜ今までそれができなかったのか、反省と対策を踏まえない制度導入の行く末は困難である。

とても暗い気分になる内容であった。社内(人材)公募制で選ばれた、若手の古谷さんのように、新しい分野にチャレンジし、上を目指している人がいる中、Sさん、Oさんのように、中高年で、出向を命じられるような人もいる。Sさん達のような人々は本社で働き続けられると考えていたのに、この配置転換で、全く違う仕事内容、ホワイトカラーがブルーカラーになるという事を経験する事になった。体力的にも厳しいだろうが、私は1番精神的な面で辛い思いをしているのではないかと思う。このような体力仕事を後定年まで何年も続けていけるかという不安、2年後にはボーナスも減り、今まで通りの生活は出来なくなる。NECは、配置転換という形で、不景気をのりきろうとしたが、他にもっと削減できる部分はないのであろうか。出向という名のリストラに近いと私は感じ た。古谷さんのような若い人が個人で評価され、成果主義として上を目指せる事は、悪い事とは決して忘れてはならないと思う。この人達は、NECを支えてきた事にまちがいはない。企業のトップの人達も、この不景気をどうのりきろうか頭をかかえる所だと思うが、やはり、人を減らすというやり方では私はだめだと感じた。

ホワイトがブルーに転換か…Sさん(おそらくOさんやその他の出向組)は元々ブルーカラーだよ。検査業務といってたでしょ?キャリアとしてはブルーの人がキャリアの後半の数年間本社にいた、という言い方ができないわけではない。しかし本人の失望感が強かったことも事実で。ボーナスが減る云々については気の毒だが、年功賃金は管理職とかにならないと50代だと頭打ちというのが普通でね、その意味で中高年一般に生じている事態があそこで起きたともいえるのだ。
Sさんのような人たちの分だけ、NEC本体の要員を減らした、というのは、中長期的にはあの時よりも少ない人員で会社を回していこうという会社の“Willが込められている”わけで。

レベル3
良くも悪くも企業の内部を見れて勉強になった。今や日常に浸透しているインターネットは裏で大きなかけともいえる企業努力があったのかと思うと凄いと思う。

あんまりそう思ってないでしょ。

いきなりの出向で、今までの仕事とはまったく違ったことをしなければいけないのはどてもつらいと思う。NECが成果主義であることを初めて知ったが、厳しい中がんばっている人がたくさんいて、成果主義であるほうがやる気になる人もたくさんいると思う。

「成果主義」の中身がなんであるかが問題じゃ。賃金のセクションあたりで説明しましょう。

ビデオを見て、配置転換の現実を初めて知った。古谷さんのように、自ら希望した部署で働くことになる場合もあれば、Sさんのように、180度仕事内容の職場で働くことにもなるというのは、配置転換の厳しい部分だと思う。Sさんのケース、つまり長年働いてきた職場から、全くちがう職種の職場への出向を命じられた時、自分だったら会社を辞めたくなると思う。自分のプライドと家族を養わなければならない責任とで、すごく辛い思いをするだろうと思う。

従業員が私みたいに家庭責任を持たない人間だら けだったら企業も労務施策を変えてくるだろうな。

配置転換の厳しさがとてもよく分かった。40年以上献身的にに働いて、最後の10年を迎えたところで出向が行われ、会社をうらむのもよく分かる。しかし、企業の立場から見ると、すごく仕方のないことなのかなと思えた。厳選した優秀な人材のみを本社に残す。即戦力になる人材を投入する。これは、その企業が、この混とんとした時代に生き残る為のすべてであるはずです。昔は入社し、ましてや本社に移動ともなれば、定年までは安心!という時代だったが、それは大きく変わっていると実感しました。入社後の方が、競争にかられ、厳しい現実があるのだと思った。しかし、その競争こそが個人のスキルアップのきっかけにもなり、会社全体としてのスキルアップも見込めることになると思う。

企業の中にも望ましい公正な競争が実現するならば、あるべき成果主義で評価されるべきだ、と考える人は少なくないと思う。実際はそうではない。適者生存とは簡単に言えない。

高年齢での出向はキツいだろうと思った。ただ単に「出向」ときくと、その仕事にマンネリ化している人にとっては、また新たにやる気がでてきて良いことでもあるのかなと思ったけど、ビデオをみてリーダーのOさんの表情をみて、好きで出向したわけではないの、嫌々働くメンバーをひっぱっていくのはキツいだろうと思った。でも、「青いくま運動」から、メンバーに対してどうにかやる気を出して頑張っていってほしいという気持ちが伝わってきた。リーダーとしてOさんは自分の仕事に誇りを持ち、メンバーをひっぱっていこうとする姿に感動した。成果主義もいきなりとりいれられると、とまどう部分があるだろうなと思った。

「あおいくま」などという文言に意味がないこと、どう見たって誇りを持てる仕事じゃないこと、Oさん自身が一番よくわかっている。それでも言わないとやっていけない。叫びみたいなものだな。そのことはOさんに不満をぶつける周囲の出向組の人たちもよくわかっている。あれを見て研究者やジャーナリストには結構インパクトを受けた人がいたようだが、サラリーマンの人達にとっては普通の出来事として受け止めたと思う。

会社の方針の変化によって社員は変わっていくしかないという現実を知りました。もし、自分が就職してその様な状況に直面した時と重ね合わせて考えた時に、自分だったら新しい事に挑戦してみたいと思った。でも新しい技術を新たに学んでやるということはそんなに簡単じゃないと思うから、その決断は容易じゃないとも思う。

何度もいいます、会社に入ったらあなたに選択の余地はありません。あるのは続けるか辞めるかの選択だけです。

2000年のことなのでビデオを見ただけでは現実味が感じられませんでした。インターネットビジネスの移転は、この時代どこの企業も力をいれてきたことと思います。中高年の社員が今までは180度違った種類の職に出向になることは大変なことでしかも来年度には倍の人数をバイタルスタッフとして考えているということは会社としてどうなのかと思いました。一方、若い社員は社内公募制より自分がやりたい部署を希望できることは、人事異動が大変だと思いました。配置転換によって会社として人材が安定し、時代に対応できると思います。でも会社の社員としての会社愛みたいなものはうすれていくと感じました。

企業忠誠心がどうなるか、面白いテーマである。私はなくならないと思う。そんなもの最初からないと考えるからである。あくまでも仕事と賃金の引き替え関係でしかない。バイトでもできる仕事をあえて正社員に任せる形で雇用保障を維持しようとすることは“やさしさ”によるものではない。“厳しさ”でもない。露骨な首切りをした場合の社会的非難と悪評を心配しているだけです。

手が付けられないドM
本社勤務というのは花形のようなイメージがありましたが、そこで必要とされなくなると、悲惨かもしれないと思った。大企業に入れば安泰という気持ちがどこかにありましたが甘い考えでした。

たとえば外部からの郵便物を社内各部署に配達する仕事も社員食堂でうどんを茹でる仕事も「本社勤務」という言い方ができますな。会社の中は厳然とした階級社会です。

金のかかる社員などを、バイタルスタッフとか言って肉体労働をさせ、途中退職させる。5年たてば給料の保証がきかなくなる。Sさんたちは、かわいそうにも間接的な人員削減を受け、あんなブタ箱みたいなところに放り込まれたんだなぁと思った。

同情的だがあんたの表現もきついぞ(そういうことだと思うが)。

出向における仕事の変化を実際の映像を通して見ると、出向を命じられた人の精神的な痛みが強く伝わってきた。自分は大学を卒業して会社勤務をするにあたって、常に本社や中心として必要な労働者であり続けられるように、高い意識と能力を身につけなければならないと思った。また、10年足らずでインターネットやケータイ、iモードが普及していることをあらためて感じ、普及の速さに驚きを感じた。

IT関係は変化が早いからね。たった1人の「風雲児」のおかげで大規模な人員と基本給まで削減を余儀なくされた大手通信会社のことを見るに付けそう思う。

匿名
自分たちの生活が便利なものになっていく一方で、インターネット事業を展開する日本の歴史ある企業に与える影響の大きさに驚いた。会社の人事制度や給与の決め方を変えなければ、生き残れない現実は非常に厳しいと思った。  また特に印象に残ったことは、会社から出向を命じられた中高年の方だ、入社以来、自分の専門分野を極めて、その部署のベテランであるはずなのに、ある日突然、会社から命じられて、このNECの新規ビジネスの開拓から出向までの過程から分かったことは、個人の能力重視化が進んでいるということだ。従来は出る杭は打たれるという風潮だったが今では自分のすべき仕事、果たすべき目標、結果を社員一人一人に認識させるように変化している。そうすることで社員一人一人が利益を出すことを意識させた。また出向を断行することで努力不足の者は出向させ、頭がないなら体を使え、努力不足だから給料を下げる、という道を歩まされるという危機感を社員に植えつけさせたと感じた。

私はOさんやSさんの本体にいた時の職務における出来不出来、適性がどうだったかはわからない。しかし、少なくとも論理としては、君がいうような一人一人の違いに着目する本来的な「成果主義」があれば、年齢(と学歴)によって一律に切られるようなことはなく、NEC本体で働きつづけてたかもしれないだろうことはいえる。

企業の経営方針が変わり、人手不足からやむを得ない出向を言い渡されるのは気の毒に感じてしまいました。職を失わないだけまだ良いのかもしれませんが、自身もつらいだろうに周りの社員と共に頑張っていこうと「あおいくま運動」を呼びかけるOさんの姿が健気でした。こんなことを言うのは甘いかもしれませんが、企業側も出向となった社員に何らかの対策をとらないとモチベーションの低下は免れないと思いました。一方で、営業のキーマンだった古谷さんが社内公募を利用して新たなやりがいを見いだしていて、事業転換はこんなにも人によって大きく異なった影響を及ぼすのだと感じました。

本来は、君がいうようにモチベーションダウンへの対処が課題となるはずである。しかし、あの番組で描かれている世界の中で、そして見ているわれわれ大人たち、いずれもそのような問題意識はない。そこが切ないのである。

スパロウ
本社で高度な仕事に何十年も携わってきた人を出向させられる現場を初めて見てリアルで圧倒させられました。倉庫に送った人達は平均年齢50歳を超えるということで…会社の組織の規模から見ても雇用調整(人件費カット)のため仕方がなかったのかもしれませんが、夜10時すぎるまで肉体労働をさせるんだったら、年寄りばかりを集めるのではなく、もう少しバランスのとれた職場にしても良かったのではないかと思いました。  このような出向社員にならないためにも専門職(税理士)で生きていくためにより一層がんばっていこうと思いました。  もし自分が出向社員の立場になったら、映像にもあったように「青いクマ」のような言葉などを考えて、少しでも明るく、前向きに生きていく策を考えるんだろうと思いますが、現場に行くと正直やめたいといずれ考えるようになるのかなと経験少ないながら思いました。でも給料がある程度保証されているのなら、やるしかないかな。

これまで身につけた知識、経験、能力、それが無駄になってしまうんだよね。だから日本的長期雇用に批判的な人の中には、社会的にみてそれはもったいない、他社で活用すべきだ、だから長期雇用はけしからんという論陣はる人もいる。それはそれで一定の説得力がある。中小企業であれば、Sさんのような人材を求める所はある。しかし彼はそれをしなかった。それもある種の「覚悟」である。
しかし、資格ですか、がんばってください。士業で独立する場合は、いきなり郊外の倉庫で梱包作業をやれ、といわれることはないから、その手のストレスはない。だが、梱包作業すら与えられないリスクと隣り合わせである。健闘を祈る。

戻る