2008年10月23日

匿名
社会が変われば企業、社員も並行して変わる必要性、時代のニーズに対する変化とはなにも仕事の世界だけではありません。競争社会で生き残るためには、他者との違い、自分にしかできないものが不可欠です。日本人は団体主義で全員が同じであることを求める民族なので、海外のような成果主義には賛否両論があると思います。今義務教育の世界は競争を望んでいません。学力にしても運動にしても順位をはっきりさせません。社会では自分以外はある意味敵という考え方ですから、モチベーションや競争力の為にも厳しさは必要だと思います。
NECバイタルスタッフになるにあたり、2年は以前と給料は変わらないとしていましたが、効率化のため、対象者が定年間近だったことを考えると、依願退職、リストラの方が、もし自分が同じ立場の場合選ぶかもしれません。若者はよく3年で辞めると言います。自分のしたいことができないからと考えます。中高年にはその後の選択肢がないため仕方ないかもしれませんが、働くことにはリスクが付くのは当たり前なのでしょう。

今回のような番組を見てもらって面白いと思うのは、感じ方が多様であること。大体、あの世界に対して批判的な意見が多いが。そうでない意見もある。君の場合は個人主義的解決とでもいうのか。間違ってないとは思う。問題は、あのSさん達のいた職場世界が果たして君が感じるような競争社会だったのかどうか。会社とSさん達との間でどのような了解があったのか。その上であのような措置がどう評価されるのか、ということだと思う。


握力22kg
・なぜNECバイタルスタッフへの出向の対象が平均年齢50歳の人たちなのかが疑問だった。体力からして、30〜40代くらいの社員の方が機敏に働けるだろうし、500人もの人員はいらないのじゃないかと思った。
・インターネット・ビジネスを促進するための巨大な配置転換の目的がよくわからなかった。
・年功序列ではなく具体的な目標を立てて行う成果主義は、各々の社員の意思を尊重してヤル気を起こさせることにつながるよい方針だとは思った。

・まったくその通りで、年齢的にいってあの人たちは適任ではない。だがそれでも会社が敢えてあのような措置を行ったのはなぜか、ということになる。ネットビジネスと配置転換の関係については難しくないのでは。新規事業だから、既存部門からの異動が必要だったということだ。だから次の年も多くの人材を採用した。
・成果主義については何人かの人も指摘しているが、授業でも評価したように微妙な点がある。「成果主義」という概念でもって会社が何をしたかったのか、できなかったのかを探る必要がある。


体力づくりに励むっ子{ハート}
ビデオが古すぎて時代を感じた。内容も古いものだったので、あまり興味をそそられなかった。最新の、もっとワクワクしながら見れるようなものがよかった。見ていてとても眠たくなった。
企業の都合で配置転換をすることはとても迷惑なことのように感じた。しかし、自分が選んだ会社であるし、うまくいけばもっと自分の可能性を広げることができるので、その点ではいいのかもしれない。ある意味カケですね。

今回の感想で一番面白かったのがこの前半の指摘−“古い”、と。多分、テープが劣化して画質が悪くなっているせいもあるかと思う(DVD出してください、NHK様 n(_ _)n)。まあたしかに古いかな。だが、雇用管理のあり方としては古くなっていないと思う。だから、映る限りこのテープは使い続けるぞ。で、世界との齟齬を一生感じ続けることを運命づけられた平木に「ワクワク」なんて期待しないものだ。次回はもっと暗くなるもの見せてやる (^^)
職業が「カケ」というのは、その通りだな。うまくいったらラッキーくらいに思わないとやっていけない。


握力35
2000年のビデオで内容は少し古かったけれど、配置転換というのはとてもつらいことだと思いました。インターネットの普及によって、時代に対応しなければ、企業がダメになってしまうけれど、それによって、望まない出向など、高年の方々にとっては倉庫での仕事というのはとても苦しいものがあると思いました。現在でも不況が続いているから、NECだけでなく様々な企業で大規模な配置転換が行われていると考えると、長年勤めているからとは言え、常に自分のスキルもみがき時代と企業の考えにうまく対応していかなければ生きのこることはできないと感じました。

授業でも言ったけど、人件費は削らないといけなかった。NECは出向、配置転換という形で対応できた。しかし世の中にはもっとさっぱりと切ってしまう(そうしないといけない)企業も多い。


2000年のビデオだったので今とだいぶ違っていた。まだケータイやインターネットが身近になっていない頃のことで、今、自分たちがケータイでワンセグとか、インターネット、学校でも当たり前のようにパソコンを使うことができている。このような時代になるための苦労が企業でくりひろげられていたことを初めて意識させられた。
配置転換というワードが出てきた。自分は同じ職場や部署で実力を発揮したいと考えているので、非常にとまどうと思う。確かに新しいことに挑戦していく上で、異動はつきものかもしれない。しかし、今までと何の関係もない仕事をすることで、生活が大きくくずれるのであれば、やりたい仕事でもないことをしてまで企業に残れるのか、残る意味があるのか。その意味を見つめながら仕事をするものなのか、とも考えた。

あのお、明治時代の話じゃないんだから…おそらく、君たちの今回の書込もあと8年もしたら「古い」といわれるぞ。仕事の「意味」というのは大切な考え方だ。だが、意思決定にあたってはいろんな要素がからんでくる。年をとるほどそれが増えていくんだよ。だから却って悩まなくなるかもね。


情報社会に入った現代、社会を取り囲んだ環境が変わり、消費者も変わって来ている。この流れの中で企業も変わらなければ競争に生き残られない。NECもすべての事業をインターネット関連にシフトする大規模な配置転換を行った。配置転換や出向された社員たちの例を見ながら時代の流れに速く動いているNECに感心した。そして社内公募制によって配置転換されたFさんの例を見て社内公募制という制度の目的である社員の意欲を高める、つまり「やりたい」という熱情を感じられたいいと思った。
その他でも個人の能力を重視する成果主義の導入も会社をもっと成長させる方法の一つだと思った。
このビデオは8年前であり、今はもっときびしい変化や改革が行われていると思う。変化する環境にとって柔軟に動く姿勢は本当に大事だと思った。

企業は時代に流れにのって転換をしないといけないししようとする。だが、企業の中身は人である。人はそう簡単に変われない。この矛盾はなくならないと思う。


栃木工場で行われていた配置転換で、従業員に新しい電池を製造するか他県の工場に移動して従来の仕事をするかを選択させたのは従業員からすると究極の選択だったと思う。どちらを選んでも環境が変わり、その変化に慣れることが簡単ではないとわかっているからだ。しかし、それまでの仕事とは違う仕事をしたいと考えていた人がいたなら、その人にとってはチャンスになったかもしれない。
本社からNECバイタルスタッフに出向を命ぜられたSさんは「本社勤務がずっと続くと思っていた」と言っていた。しかし、1万人の配置転換が行われなくとも支社などに転勤になるなどして、いずれ本社を去らねばならない状況になっていたのではないかと思った。ただ、中高年を肉体労働のような仕事を行う場所に出向させるのはどう考えても無理があったと考える。

今回、私的に興味をひかれたのが栃木工場のKさんのケースなんですよ。地理的固着性というのは大きなテーマだと思うので。ただ、「チャンス」、ねえ……。あの人たちにとっては様々な制約の中で突きつけられた選択肢だったのだから。会社、そしてさまざまなしがらみを捨てることでしか「チャンス」は出てこないだろうと思う。


就活か婚活か?
現在より8年前のバブル崩壊時の状況は、すでに過去のものへとほうむりさられていた。実際就労している者にとって終身雇用という概念が構築されているのであろうか?そもそも終身雇用はは戦死者に対する労働力補充のため、人材確保の一面があったのである。もはや戦後と言えず企業の成長度も成熟した最近、アメリカからの資本注入により右かたあがりの成長は、頭打ちになり、現実的に社会に必要とされる質への転換に、鉾先をかえた時点で、能力と賃金の適正で公正な価値判断が見直されたのは、何もバブル崩壊に理由を求めず、なるべくしてなった必然の実情であると考える。当事者は実情に合わない賃金と待遇が我の真の価値であると他人の尺度で自分を位置付けていた幻から現実へと引き戻された。そのギャップに落胆するのは人間として当然の感情の働きであり、そこに何ら同情考察すべき点はないと考える。NECが工夫した事に、出向という形で、彼らの受皿を用意した点に、最大の社の姿勢が表れている所、出向した彼らの口からは、裏切られたという言葉がでてくる所、視野の範囲、良見問題への対処法、事実認識能力に不安定さを感じる。NECバイタルスタッフでは賃金を2年間据置きとする点、この当時の

強引なところもあるが面白い視点があると思う。私なりに言い替えると、“厳しいとされるNECの施策であるが、終身雇用は守られており“優しい”施策も条件がマッチングしなければ成立しない”といった所か。ただ、逆に言えば、同社の雇用慣行が成立するまでにSさん達も頑張ってきたことも事実であり一方的に庇護されてきたわけではない。あくまでも、現状が許さなくなった、そういうことだと思う。


のり弁当
出向になったSさんと、そのお母さんは出向された事と、上層部に対しての理不尽さを言っていて、それはもっともだと思ったけど、優秀な人材だったFさんの前の部署の上司の人や、自身も出向になって、且つ社員の不平不満まで親身になって聞いていたOさんは凄い人だと思った。2人とも「会社のためを思えば…」と言っていて、会社に務めるというのはこういうことなのかと思った。
Sさんはあと15年分も残っている家のローンが払えたのか気になります。出向になって、主任という地位もなくしてきつい仕事もやって、せめて給料は変わらずにいられないものかと思います。いくら「人に優しい会社」と言っても所詮企業は利益目的な訳で、キレイごとではやっていられないと思いました。

Oさんと、Fさんの元の上司(すまん名前覚えてない)は中間管理職の重要な役割−板挟み−の役割を果たす。そこに着目するセンスはいいね。オレもあまり意識してなかった。自分でもおかしいと思っていることを、それも他人に命じる立場で実行しないといけない。これはある程度上に立てる人ならではの苦労というのか。2年後のボーナス削減はあるが基本的に正社員としての水準の賃金は保証される(のが普通)。家のローンはなんとかなるんじゃないですか?


ビデオを見て、企業における大規模な経営革新企画は社員にとってとても厳しいものだと感じました。時代の変化と共に新たな事業へと事業転換することは、重要であり必要な変化です。しかし、その背景にはたくさんの人々の苦労があると知って驚きました。ビデオでは、新規事業の拡大と共に、人事制度の改革も行うことで、企業全体の大きな変革が描かれていました。やはり、人事制度の改革は難しいと感じました。また、社員の出向や成果主義についても印象に残りました。

たしかに変化を語っている。ただ、経営危機があるとああいった人事施策(配転)があること自体は日本の大企業では一般的である。その程度には<<普通>>の事が行われた、というのが私の評価。制度改革が難しい、という言葉の意味だが、おそらく君は犠牲を強いるという意味で言っていると想像する。私はどちらかというと、惰力の存在によって改革の実行そのものが難しいと考える。


インターネットによってNEC社内激しく変化した。配置転換のために社員に損害させる場合もあり、例えば、ボーナス減りとか、新しい仕事への悩みとか、人事管理の役は一番大事なのである。

まあそうなんですわ。


前回講義で説明のあった、社内公募制の実体の解説やコメントがあったが、今回のNECのビデオを見て、同社内での社員の引き抜きという部分の印象が強かった。能力のある人は、それを活かせる場を探す、又は与えられるがそうでない人々は個々にスタイルを合わせていく中での職場や社員の働き方の変化は、企業全体の活性化になっていたと感じた。
年のいった社員の人達が時代の流れに取り残されないようにセミナーなどに通うのは大変そうだ。

引き抜き、ねえ、たしかにそういうことだ。活性化がおきたのか混乱が起きたのかは、あの番組だけではわからない(問題ができるだけ起きないような関与を人事部なりが行っていたと想像する)。
勉強、うん、サラリーマンになってもアフターで勉強しないといけない。でないと仕事ができない。卒業生達はそんな感じです。


社内(人材)公募制を行って、インターネット関連の仕事をしたいと思っている人達を集め、それで採用された人は、いいが、それとは反対に、新しい部野を取り入れたことにより、今まで働いていた所から離れ、全く違う仕事につかなければならない人々も出てきていて、とてもかわいそうに思えた。
しかし、会社の業績を上げるためには、新しい部野をとり入れ、配置転換することは、しかたがないことだと思った。

業績を上げるというか、サバイバルのためですからね、あれは。ただ、問題はあそこで脚光をあびた「インターネットビジネス」なるものがどこまでうまくいったか。結論はまだ出ていないのですよ。


今日の社会ではインターネットの使用は当然というくらいあらゆる分野で多様に活用されているけれど、今までやってきた事業を全てインターネット関連にシフトすることでこれほど大勢の人々の苦労や努力があったということに驚きました。NECの場合、配置転換の対象となったのは平均年齢50歳を越えるベテランの社員ばかりで今まで10年、20年と継続して行ってきた仕事をいきなり変えられてしまい心身共に厳しい環境の中での仕事はとても耐えられないと思いました。

それでも会社は定年まで給料を払い続けてくれる、という言い方ができる。だが、他方では他の会社に移って同じ仕事を同じ賃金水準で続けることができない、という言い方もできる。同じ状況を言い替えただけなんだが。


出向は、ある意味リストラ予備軍だということ。それは、Sさんで言うと主任をはずされていたし、2年間は給料は維持(?)だが、それを過ぎると、減るらしい。(年功の矛盾)←成果だから?
第一、活気がある方を配属したというが、平均年齢50歳以上で、活気があるのか?(まあ、たてまえと思うが)仕事内容も今までとは違って肉体労働(バイトのレベル)だから、中年には相当キツイと思うし、自然と皆辞めていくだろう。会社のおもわくどうりに。成果主義というが役員の連中はその中に入っているだろうか?話し方、顔の表情、あきらかに他の出向者達と違って見えた。かなり人ごとみたいに感じた。

スーツを着た取締役の人が倉庫現場を訪れた場面だね。企業内の階層というか階級構造を絵に描いたようなシーンだったな。本体で3万人弱、グループ全体で15万人の大組織です。「人ごと」といえば人ごと。だが彼らだって地位は安泰ではない。施策を間違えると“反乱”が起きる。


新しい産業が発達し、その技術の需要が高まるにつれ、企業は変化することが要求される。それに伴い、従業員個人もそれに至るまでの経験を活かすことができず、急に新しいことを始めなければいけなかったり、めまぐるしい発展を常時理解していく必要性がでてきたりと、企業が従業員に求めるものが異なってくるように思います。けれども、給与の保障等、今まで通りの生活ができるような配慮は怠ることのないようにしてほしいと思いました。

今のところ日本の大企業は君が言っている線を守っている。環境変化に対応するし従業員にもそれを求める。しかし雇用は守る。経済的条件が許す限りは。私はこの線についてはそう簡単には変わらないと思っている。少なくともそのようにやってきながらも世界水準の競争力を発揮し続けている企業はいくらでもあるから。


M.M
NECなどのように情報社会に対応したインターネット事業への転換を行っている企業は、社員たちに大きな影響を与えているのだなと戦略の厳しさを感じました。インターネット事業への転換によって、人事異動やそれに対応することができる人材の募集、成果主義など…同じ会社の中で勝ち組と負け組がはっきり分かれているなと思い、現況の厳しさを痛感した。

勝ち/負け…ちょっと気になるのだが。N社長、M人事部長といった幹部層が昇進競争の勝ち組であり、Sさん、Oさん達が負け組といえないことはない。だが、インターネットビジネスに移ったFさんが勝ち組かどうかはわからないよ。キャリアにおける結論はあの年齢ではまだわからないのだから。


匿名
今回、このビデオを見るまでは、配置転換というものは、多少部署を移動するくるいの簡単なものだと思っていました。実際にそういう例もあるのかもしれませんが、NECの大幅な転換は、もはや革命であったと思います。会社自体をより良く運営していくために必要なことですが、その会社を見るのではなく、働く社員一人一人見ていけば、それぞれに多様なドラマがありました。
人材公募でも自ら志願し、やりたいことをやれるFさんのような例もありますが、Sさんのように、有無を言わさず、働き場を変えられるというのは、とても辛いものがあるのだと思います。
配置転換は大切なことかもしれませんが、そのような人たちの心(もしくは後の自分)を考えると苦しいものがあります。

私、今頃になって気づいたんだけどね−Fさんの後任が埋められたかどうかわからない。補充があればいいとしよう。問題は補充がなかった場合。それは、Fさんのポストは要らないものだった、ことになる。元の職場にいられなかった、という点ではFさんも「余剰人員」であった、と。もちろん、Fさんは自分で望んだ配転を実現したのだが。


NECの大幅な人員転換の様子をいろいろな立場の人の姿から伺うことができた。人材公募制度でやりたい事業に携われるようになった人や今までデスクワークから倉庫内作業に転換させられた人など、社内改革を起こすによって、多くの人の仕事に影響が出ることがわかり、成果主義の厳しさを知ることができた。

成果主義の「厳しさ」はあそこにあったかなあ?


・出向となった人たちはこれまで長年やってきた仕事が急に変わった体力的なところと、出向させられたことによる精神的な疲労が重なってかなりのモチベーションの低下となった。この人たちのモチベーションを上げるための企業側の配慮はどうなっているのだろうか?
・インターネット・ビジネスにシフトするために企業は組織のグローバル化、新たなアイデア・発想を必要とし、新たな人材を求める。当事者にとっては厳しいことであったろうけど、世間の流れに遅れないためにもNECの行動は正しかったと思う。

・私はハナから君のようは発想はなかった。だが、それは問うべきことなんだよ−モチベーションの如何というのは。変にものわかりよく処理するよりは、番組中でもOさんが食い下がっていたような姿勢をとるべきなんだろう。
・新しい、新しい…今までいた人ではダメなんだろうか?高年齢者を使うことはできないのか。思いこみの蓋を開けてみたい。


まず、1万人の配置転換ということで、NECという会社の規模の大きさに驚いた。そのような人員を配置転換しても業務が成り立つものなのかと思った。内容はというと、人材公募の場合は本人の意志で、移動するわけだから、たとえ厳しくても意欲をもってやれると思うけど、出向の場合は中高年社員が急に仕事が変わるのだから、たまらないと思う。これでは、社員は会社に対して不信感を持つだろうし、社員と会社の信頼関係はくずれてくると思う。長期的に見れば、会社のこのようなやり方は必ずしも成功するとは思わない。もちろん、会社あっての社員だと思うけど、社員を大切にしない会社は、成長していかないと思う。さらに、成果主義一辺倒も、反発を買うと思う。個人的には年功序列の中での成果主義だと思う。

わはは、その“でかい”という所への反応はいいと思うぞ。なお、私は、9年間で15万人を配転したという30万人企業の事例を知ってるがな。
会社と社員の信頼関係−どうなったんだろうね、あそこでは。倉庫に追いやったのは、“あなたは要りません”というメッセージと受け取れそうだ。そこで信頼関係が壊れたとみるのか、それも含めて信頼関係が続いているとみるのか。


正直、出向や異動される人がかわいそうに見えた。人材公募制も、本人の希望とは言うものの、結局は会社の核となる部分の強化のためだとしか思えなかったし、会社の言いなりに動いてくれる人を会社は必要としているのかなぁとまで思った。しかし、現実的に会社が存続するためには従うしかないし、働かせてもらって給料もらってる以上は会社の気持ちに従うべきなのかなぁと思った。個人的には会社の言いなり(出向や異同)に動いてくれた人にそれなりの賃金が払われたり、手当金を払ったりしてほしいと思った。仕事ができる人、なかなかできない人は確かに居ると思うけど、一生懸命頑張ってるところはしっかり認めて、異動させるにしても年齢等はしっかり考慮して再配置してほしいと思った。

「会社の言いなり」−それは間違っていない。というか労働契約はそもそもそういうもの。労働時間はまさに「言いなり」になる時間。
もちろん君が言うようにその中にあっても従業員のニーズや気持ちはくみ取るべきではある。問題は、あの倉庫はなんだったのか、ということ。


スパイダーマン!!
出向で今までとは全く違う職場で働かなければならないということは肉体的にも精神的にもとてもつらいことだと思いました。
もし自分があの立場だったら、仕事を続けていけるのかわかりません。また、誰にでも出向を命じられる可能性があるので、その不安を抱きながら毎日働くこともつらいと思います。私は今から就職活動が始まるけど、もし自分が希望する会社に入ることができたとしてもずっと同じ職場で働けるとは限らないということを改めて感じました。

「希望する会社」か−就職というのはある意味で灰色の生活に自分を放り込むことでもある。それでもそのために君たちは全力を注入する。不思議だね。


中・高年の社員の方々が出向を命じられ、数十年間やってきた事と全く別の事をさせられて、本当にモチベーションが下がったと思う。
しかも2年間は給与額維持が保障されているがその後は減額だなんて…。出向を命じられた人達には、ちょうど私達のような大学生(学費がかかる盛り)の子どもが居るだろうに、会社はそんなことも考慮してくれないのかと少し憤りを感じた。匿名なので、少し激しい言い方をするが、なぜ会社の奴隷にならなければならないのか?

なぜ君たちから見たら無体とも思える仕打ちにあの人たちは従ったのか。簡単です、会社を出るよりは条件がいいから。劣等比較はフェアじゃないといわれるかもしれないが、そういう計算があったはず。会社は出るなとは一言もいってないのだから。出向組はたしかに収入が下がるけれど、それでもNECという大企業としての賃金水準は維持される。あとは労働者本人がどう選択するか。


年をとってから、技術部門だった人たちがインターネット事業の方で働かされるのは大変だと思った。年齢・キャリア関係なく時代に合わせていかねばいけないのを感じた。社内公募制はいい制度だと思ったのは、上司の承認をえなくても良いということだ。止める人のことなど気にせず、自分の意志でできる。色々な事にチャレンジできる場になっていると思った。これから自分が社会にでて、時代に合わせられるよう、広い視野をもつこと、新聞やTVで時代をつかんでいくことが大切だと感じた。

君がいわんとしているのは適応力、柔軟性ということかな。うーん、それって結局、何もない、ということになりかねないよ。自分の筋というものもないと。


人事異動にあてはまった人達の姿は、本当につらそうでした。50才をすぎてから、慣れた環境から、慣れない環境へ配置転換され重い荷物を運んで心身ともに、つかれ果てていた。若い人でも、あの仕事を毎日ずっと続けるのは根性がいります。それでも、生活のため、続けなければならない事に、お金をもらう大変さを改めて感じました。前まで自分がいた部門から「いらない人間」として人事異動されてしまったと、感じてしまうと思うし、ずっと会社のために、つくしてきた人たちなのに簡単に人事異動させられてしまうんだと思いました。だけど、会社にも会社の都合があるし、嫌なら、やめてもらっていいと言われても、また仕事を見つけるのも体力がいるし、雇用もなかなかないと思いました。逆に、自分から配置転換を願った人は、大変ながらも、仕事の意欲であふれているようでした。

まあ、肉体的にきついと思うが。私、やはり精神的にきついことも大きいんじゃないかな。倉庫に行ったSさんと新しい部署に行ったFさん。両者を分けているのはあくまでも年齢なんだよね。あれから20年(今から10数年)たった時にFさんに何が起きているか。


NECという日本でも有数の大企業で行われた配置転換。端から見れば、インターネット事業で成功した「すごい企業」だと思う。しかし、その中で働く「人」にとっては、必ずしもプラスではなかったのだと思いしらされた。特に配置転換の犠牲になった人たちにとってそれは大きいことだろう。会社というのは消費者満足のみを追求するのではなく、会社の中で働く人たちの満足も考えるべきである。むしろ、社員が大きな満足を得られれば、作業効率、経営効率は上がり、結果としてそれがお客様への満足につながるのではないだろうか。

社員が引きつった顔している会社は顧客に満足を与えないだろう、と私も思う。実証はなくて仮説の段階だがそう思う。問題は何をもって社員の満足、と考えるか。


社会の変化により、企業が変革を求められ、その変革により社員は企業に厳しい意識改革を求められる流れを改めて感じました。また、その変革は意識だけにとどまらず、配置転換という企業の経営管理に及び、それによって社員の生活も大きく良い方向にも悪い方向にも向かうのだなぁと思いました。

まあ、そうなんだが。


匿名希望
M部長が行った「人材公募」制はとても良い制度だと考えた。Fさんのような若くて新しい分野にどんどんチャレンジしていきたいという活力あふれる優秀な人材を集められるからである。対象的に、出向していったSさんらは、大変きつそうだと考える。中高年になってから新しい仕事で勉強もしなくてはならない、また体力を使う仕事だそうなので体に気をつけてほしいと思う。NECの会社は配置転換の方法がさまざまであったが、社内で異動がある会社も良いなと初めて感じました。

労務管理論の授業をやる人間にとってこれほど使い勝手のよい教材はない、というのは正直な所ある。ただ、実際の所、うまく回っているのですか?という思いはある。社内公募制はその一つである。


T.K.N
配置転換や出向が当たり前になっている今の社会で、生き残っていくためにはどうすればいいのか、そんな事を考えさせられました。とにかく新しいものや、いろんな事に興味を持ち、それらを自分のものにしていかなければならないと感じました。

この手の反応が少なくなかったな。実際の所、どうすることなのか?私はある程度しがみつくものがないと、結局器用貧乏に終わると思っている。


出向のイメージが、なんだかすごく暗くなった。社内公募制で引き抜かれた人は、若くて、これから新しいところでがんばろう!という雰囲気なのに対して、NECバイタルスタッフのSさんは50代で、仕事も倉庫という力仕事で、ものすごくこたえている感じがビデオから伝わってきた。

みんな勘違いしていないか−Sさんはあの時点で48歳だぞ。


事業がインターネット関連にシフトするだけで、こんなにも職場や社員の働き方が変化することに驚いた。また、配置転換に伴い、やはり有能な人ほど有利な立場にたつことができるので、今のうちにより多くの会社に求められる技能をもつことが大切だと感じた。

Fさんが有能であるだろうことは否定しないとして、FさんやOさんは有能ではないと言えるのだろうか?会社は彼らを「余剰」と感じたようだが、それは能力という線で切ったのではなく年齢という線で切ったのでしかない。


配置転換は社員にとって、とても頭を悩ませるものだと思っていたが、会社側の選ぶ立場の人達にも、大変な苦労があるんだなと思った。どこの会社においても、時代のニーズに応えていける柔軟な姿勢が大切であると感じた。出向を命じられた人も、公募制で異動した人も、一生懸命に働くことは同じで、このような人たちがいるからこそ、私達の生活、日本の未来は支えられているんだなと思った。

仕事関連の専門書を買って家で法律や制度の勉強をしている信託会社勤めの卒業生や、休みをほとんどとらず朝から夜中の12時まで働く卒業生のダンナを見ていると「一生懸命」だとは思う。しかしそこまで働かないと「日本の未来」は支えられないのだろうか?


今回のビデオを見て、企業が大きく舵を切る時、それだけ多くの社員が動くという現実がよく分かりました。企業内で新たな部署にヘッドハンティングの様な形で配属される人もいれば、30年間必死に会社に務めてきたのに、いきなり出向を命じられ、あまりにも大きな仕事場の環境の変化に沈む人もいて、企業内でこんなにも差が出てくるものなんだと感じました。しかし、これからは終身雇用から成果主義に変わり、できる人はその分評価され、できない人は容赦なく切り捨てられるのだなあと思い、将来、自分が社会人になる時に、今何をすべきかを考えさせられました。

あの番組では会社(グループ企業こみで)から放り出された人は出てこないんだな。


出向したおじさんたちの姿を見て、やっぱり出向を告げられるのはとてもショックなことなんだと思いました。インターネット部門の設立という大規模な配置転換でFさんのように期待の星になる人と、出向で慣れない作業にとまどったり、工場の仕事内容が変わったりする人と明暗がはっきりとわかれてしまうところにちょっと切なさを感じました。

なんども言うが若いときはSさんもOさんも「期待の星」だったのだよ。


とくめい
配置転換を機に「波」に「乗る」人間もいれば「振りおとされる」人もいるんだなと思った。大企業に入社したからといって安泰な人生を送れるといった保障もない上、成果主義の会社で働いていくのは大変だろうと思う。でも、仕方ない。人生面白みがプラスされて楽しめそうだ。

お気楽な感想を見ていると、それはそれでありかな、とも思い始めた。どんなことが起きても前向きに受け取る気持ちがあることはいいことだと思う。自分の身にふりかかってきてもね。


匿名
最後まで見て思ったのが、当時のNECは社員に対して冷たい会社だなという印象を受けました。
バイタルスタッフといえば名前はかっこいいけれど、単なる力作業のことです。バイタルスタッフに出向したメンバーは、初期のNECを支えた大事な人物だと思います。世の中の変化や技術、ニーズに合わせて配置転換や業務の効率化を図るという判断自体は正しいと思います。しかし会社が存続できるのは、商品を購入してくれる顧客と同時に経営を支えたりものづくりに関わっている社員であります。成果主義の導入も会社の発展に大きくつながるとは思いますが、会社の基盤である社員を大事にできない会社は、未来がないと言われても仕方ないと考えます。
社員の成長できる環境をつくることが、大手企業だからこその使命だと思います。

これまでの日本では年齢の高い労働者は伸びる余地がない、だから教育訓練をしない、という労務管理施策が主流だったように思う。この番組でのNECもそうである。40歳そこそこだった栃木工場のKさんは訓練の末職種転換をした。だが40代後半以上のSさん、Oさんはその機会も与えられなかった(と思う)。訓練コストと働ける年数との見合いの問題ではあるのだが。そのコスト計算は見直せないのか?


P.N.グラハム
不景気の中で生き残りをかけて大規模な配置転換を行うNECの施策は利潤を求め生産活動を行う企業として理解できると思う。
しかし番組後半部にて放映された配置転換後の中高年従業員達の姿を見ると本社のしごく合理的な施策とはいえどうしても理不尽だと感じずにはいられない。本来、あのようなブルーカラーの仕事は体力のある若い社員を配置し、その若い社員たちが現場での経験を積み体力的に厳しい年齢になってきた時にホワイトカラーの仕事、例えば、管理職などに異動をさせるのが理想ではないだろうか。

えっとですね、Sさんのケースで言うと若いときに体力を使う肉体労働(検査労働)をしていたのですよ。そして中年になってから本社で非肉体労働。そして50の声を聞く頃に再び肉体労働(おそらく、検査労働よりもきつい)についた。つまり、会社は通常の体力年齢とのバランスを崩した配置を行った。そこに会社のメッセージがあるともいえる。


大企業であるNECが経営改革を行うなかで大きな人事異動があることがわかった。
出向でNECバイタルスタッフに行くことになった中高年社員はリストラのような気持ちでいるだろうなと思った。“あおいくま運動”で“くさらない”“負けない”と出てくるだけくさりそうな仕事であることが伝わった。成果主義になることで、若い社員は意欲が出るかもしれないが中高年の社員の不安は大きくなる一方だろうと感じた。
日本企業は“終身雇用”“年功序列”とよく言われていたが、現在は変わりつつある、と思いながらもどこかで“終身雇用”という言葉が頭にあると思う。大企業にしがみつき様々な職種で働かされ、様々な土地に転勤するサラリーマンがほとんどである私はそのあり方に疑問を感じる。終身雇用・年功序列が崩れ非正規社員が増える現在、その不安におびえる人が多いのはプロフェッショナルとしての仕事をしている人が少ないからだと感じた。このVTRを見て、これから先、“手に職をつける”重要性を感じた。

<あ>せらず、<お>ちついて、<い>っしょうけんめい、<く>さらず、<ま>けない…不謹慎だが、某博多の森球団に捧げたい言葉だ(>ホント、不謹慎だ)。
手に職、というか一つの職種にアイデンティティを見いだせるかどうか。これが難しい。


社内公募制を採用することで、より会社が求める人材が集まり、結果につながると思った。成果主義も同様で、社員のやる気を上げ、成果に見合った給与となるため、会社全体のモチベーションのアップにつながると思った。
ビデオの中で気になったのは、本社から工場への出向についてである。工場での労働は肉体的なものが中心であることが分かっているのにもかかわらず、50代前後の中高年を集めるのは、あまりにもきついと思う。人件費や、各部門の経営成績を考慮してあると思うのだが、まずは、ムリのない、仕事と労働環境を提供するべきではないか。

世間一般では中高年も普通にあの手の肉体労働をしていたりする。問題は慣れていない人たちが就かされたことにある。その意味では配慮があったのだろうか、と思う。ただ、それは経営の裁量の範囲内なのだろう。

ビデオを見て、会社の大きな転換期というのはこんなにもきびしいものなのかと驚かされた。必要とする社員と必要とされない社員の扱いが大きく違い、特に倉庫に出向していく社員の表情が印象的だった。10年前のVTRだったが現代も似たようなことは起きていると思う。卒業する前にこのVTRを見て、社会のきびしさを少しでも感じることができてよかった。

しばらくは君たちも「必要とする」方でいられる。だがだんだんと「必要とされない」方に移っていく。幹部クラスにたどり着いた人以外みんなに起きることである。


kamekame
インターネット・ビジネスに対応できない中高年を工場に出向させてきつい労働をさせることで、社員のモチベーションが下がっていた。NECは、社員に厳しい会社だという印象を受けたが、むしろ良いことなのかもしれない。中高年に、むりやりインターネット・ビジネスをさせていたら、中高年は仕事についていけず、リストラや自主退職に追い込まれていたかもしれない。とはいえ、出向させても何人か自主退職していたようなので、決して褒められるやり方とは言えない。

モチベーションの問題は重要だが、それにもまして重要なのは雇用保障である。NECは後者を選んだ。優先順位の問題である、ともいえる。


匿名
世の中がどんどん変化(インターネット時代に)していくのと一緒に、会社もそれに対応しようと変わっていく。それは、必要なことだけど、それによって人生が今までと180°変わることは、ものすごくコワイ気がした。世の中にあやつられているような感じがする。NECビデオの最後に、年功制から成果主義に変わっていたが、その結果、NECがどのように変化したのか(配位転換、業績ナド)気になる。出向と言い渡された人たちの時は、リアルな現状を知ったようで悲しい気持ちになった。

「どのように変化したのか」−まったく正しい問題意識である。制度改革はどこの組織でも行われる。だが実際の所どうなったのか、という検証は意外と少ない。NECは?うーん、どうでしょう。


世の中においついて、その先を行くのは、とてもムズカシイ…。

そんな凄い人、なかなかいません。普通の人が普通に生きていけるにはどうしたらいいか考えるのが社会科学の課題の一つです。


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